フランスのスト

フランスのストが止まらない。

昨年(201912月初旬に年金制度の改悪阻止を訴えて始まったフランス全土を覆うスト。

鉄道やバスなど主要な交通機関の労働者を中心に、教師・弁護士・主要な文化施設の職員まで参加し、ほぼ「ゼネスト」と言うに値するものだ。

「クリスマス頃には終息か?」という見方も当初はあったが、越年しても止まらない。マクロンも相当、ガンコなのか、今更すり寄りようもなくなったのか・・・

 

年金制度改悪と言っても、我が国のそれよりは余程ましなものなのに『人生を楽しむことが、至上の価値』と心得るフランス人は、「一体いつまで働けというのか?」と怒りを隠さない。

そもそもバカンスという制度(労働者が3週間の休暇を取る権利)もかつて、大規模なゼネスト100年近く前に行って、フランス国民自らが勝ちとったものだ。

納得できないことが国家や体制の側にあれば、彼等は自分の内にためこんだり、又、国がやってくれる(上から降って来る)のに期待するほかないとあきらめたりはしない。

やる時はやる。例え戦車が迫っているような時でも。

かつて、第2次世界大戦の独仏開戦前にナチスドイツの侵攻に備えて、マジノラインという要塞線の建設をフランス陸軍は進めていた。ところが、その工事の最中、工事現場労働者の待遇等をめぐって大きなストが起き、要塞の完成は大幅に遅れ、その完成が開戦に間に合わなかったというエピソードもあった位だ。

 

日本なら、特に今の日本人ならいくら「9条信者」の日本人でも「なんというエゴイストたち。一体、国家の危機を国民として何と考えてるの!」と罵りたくなるのでしょう。たとえ「9条信者」でも・・・

じゃあ、フランス人って愛国心が薄いんでしょうか?

それは、絶対に違います。あの人たちほど愛国心のかたまりみたいな国民も少ないのです。

フランス人は、昔からよく言います。

「ドイツ語は馬のいななき。英語は盗人のひそひそ話。フランス語は天使の歌声。」

徹底的なアメリカ嫌い。まずい下手な料理のことを「イギリス風の味付け」と言ってはばからない。ナチスに占領されてからも、世界中の誰もが知っている歴史に残るレジスタンス活動による抵抗。そしてパリが解法された時には、占領下でナチスに与した女たちは、「裏切者」「フランスの恥」として、市民の手で丸刈りにされ、街中でさらしものにされたのです。

なんとすさまじい国粋的とまで言える愛国心

 

先述の国防に支障をきたすまでのかたくななストの決行とこんな愛国心は一見、正反対で矛盾するように日本人の目からは見えてきます。

でも、実はこれはフランス人の国家観の単なる表と裏で一体なものだと私なりに思うのです。それは、一言で表せば国家というものを客観視した上で本当の意味で自分のものにしているという精神構造であろうと思うのです。

本当におかしいと思うことがあれば率直に言う、これだけは我慢できないと強く感じる重大事があれば素直にはっきりNOと言い、それをつきつける。それを判ってもらえるまで。それが、ゼネストなのでしょう。

 

今までそうやって国家と向き合い、付き合い、取っ組みあってきたからこそ、フランス人はフランスという国を本当の意味で「自分の」国だと思えているのでしょう。

これは、とても大事なことだと思います。

フランス人にとって、フランスは「自分の国」なのでしょう。

これは「夫婦的」な国家と国民の間柄です。

 

本当の愛国心とはそうして生まれてくるものだろう。「自分の国」「私の国」。

言いたいことを言えるから愛せる。

小学校の道徳の時間で富士山を見せて、美しいと言わないと✖という評価をして、「ホレホレ日本はええ国やろ。」「ええ国って言え。」「ええ国って思え。」とかやっても本当の意味での愛国心が生まれる訳ではなかろう。

 

果たして日本はどうでしょうか?

目下のこのフランスの年金ゼネスト自体が、現代の世界情勢の中で歴史に残る大事件ですが、我が国のマスコミはほとんど取り上げようとしません。(意図的なのは判っています。)

日本人にとって日本という国家とは、戦前の大日本帝国時代は、恐らく天皇制を基軸にした上下関係的な秩序の下、分派的所業を許さず、単一的結束を成すことを旨とする政治観念としての「国体」というもの(この定義は私が今、考えたものであり、政治思想史の専門家や研究者の受け売りではないので正確ではないかも知れませんが。)が、あたかも一人ひとりの日本人の頭(精神)の上に漬物石のように乗っていて、それによって決して抗えない絶対的な存在だったのでしょう。

フランスの場合の夫婦的関係ではなくて、嫁と舅的関係?使用人と主人?奴隷と領主???いずれか?

戦後、アメリカの占領の下、形だけは民主主義、国民主権の国になり、新憲法も発布されましたが、この発布も実は天皇の名の下になされたものです。(御名御璽とある。)

 

又、白井聡氏の唱えるように戦後は、天皇(菊)の代わりにアメリカ(星条旗)が国体の中身になっただけで従属的国民観は戦前と変わらないのかも知れません。つまり、対等に意見を交わし合い、その結果対等に愛を交わし合えるような間柄ではないのでしょう。(今日のフランスが、そういう意味で理想的な状況だとフランス賛美的に言う気はありませんが、彼等がその理想を追い求めないといけないという情熱を持っていることだけは確かでしょう。この点が、今日の日本人とは全く異なっています。)

 

今日、ネット上でフランスのとある地方からパリのルーブル美術館へ「モナリザ」を見れればとはるばるやって来たご婦人のインタビュー動画が出ていました。

曰く、「モナリザ見れないのはとても残念だけど仕方ないことね。今、ストをしないのならそれは、ルーブルが本当のルーブルでなくなってしまうということですもの・・・」

これが、フランス人のストの意味・重要性を判り、それを支える心なのでしょう。

日常生活がとても不便でも、それに耐えることが各々の「闘い」。それが判っているのでしょう。社会を国家を良くする為に。

とある日本人の妻が「3週間も休みがあるなんて、フランスはいいね。恵まれてて。」とフランス人の夫に言うと、「私たちはそれを1つ1つ闘って勝ちとってきたんだ。国家が何かしてくれるのを口を開けて待ってるだけのあなたたちから言われる筋合いはない。」と言われたそうです。全くその通りですね。

 

今日の日本の社会・政治の諸状況。「閉塞感」などという言葉が言われて久しい。

首都圏では、ほとんど毎日鉄道への飛び込み自殺があり、ダイヤが日々乱れるらしい。

かの初出社日の16日、新宿駅南口の歩道橋から公衆の前で首つり自殺があったらしい・・・

 

総理は「我が国は諦めの壁は完全に打ち破ることが出来た。自信と誇りの日本、オリンピックの年」と言っているが、そのオリンピック元年(1年で終わりに決まってるけど)の正月の首つり自殺。きっと何かを示したかったのでしょう。その人は。

野党にがんばってもらうのも良いかも知れませんが、こんな日本を変える最後の手段(決定的な最終戦法)はゼネストによって政権崩壊させることしかないと私は思います。

途は長いでしょうか?もうそんなに猶予はないのですが・・・

 

「フランス人のあの愛国心も困ったもんよ。ホント、フランスが一番って思ってるんだから」って、映画「マダムマロリーと魔法のスパイス」(監督ラッセ・ハルストレムヘレン・ミレン主演)を見た私が言うと、映画を作っている高1の息子が、

「それはね。フランス人は、国に対し要求することはしてきたことによって国家を自己化できているからだろ。」と言っていた。

なかなか鋭い奴だなと思った。