ようこそ!虚構と絶望の蟻地獄へ。

2020年度の「安倍首相の施政方針演説」を新聞紙上で拝読した。

よくもこれだけ平気で虚構と虚飾と手前勝手な牽強付会に満ちた、添加物が山ほど入ったパフェのような「日本国物語」を堂々と開陳できるのか?

その才能(?)には、呆れ果てるまでだ。

 

1年前もそうだったが、今回更にそのイカれ方には磨きがかかって来たようだ。

「ウソ」と「キレイゴト」を並べたてるだけでなく、本人自身が本人も無自覚のうちに虚構と現実の区別がつかなくなった狂った思考の箱の中に入っている印象を受けた。これは、危険だ。

 

いつもながらに彼の「施政方針」の中には、政治の方針だけ示せば良いはずなのにそれには不用な必然性のない美談のような「物語」が存在する。これを読まされるのは、苦痛だ。

今回も冒頭から出た。

昔の東京オリンピック聖火ランナーの逸話。

それを受けて「半世紀ぶりにあの感動が再び我が国にやってきます。云々・・・国民一丸となって(嫌なものだ。「1つに丸めこまれる」というのは)新しい時代へと皆さん共に踏み出して行こうではありませんか」

?あたかも半世紀前のオリンピックも又、自分の業績であるような、そしてそれに重ねて今回もう一度、東京オリンピックがあるような構造のスピーチだ。意図的なズルさだ。

日本庭園によくある「借景」(背後に見える美しい自然の風景が映えるように意図的に庭を造って、その庭自体がより美しく見えるようにする造園法。京都なら岩倉の円通寺比叡山の借景が有名だ。)と同種の技法か?

錯覚してはいけない。彼がよく使う手だ。

 

そして何と言っても次の「新しい時代へ」の項目では・・・

『「日本はもう成長できない。」7年前、この「諦めの壁」に対して私たちはまず三本の矢を力強く放ちました。』

いつまで成長経済なんですか?マイナスイメージの象徴としての「壁」って言葉、今更ベルリンの壁壊しのつもり!?

『我が国はもはやかつての日本ではありません』

・・・仰る通りですね。もう立派な安倍党(自民党ではない。)独裁国家ですよね!・・・

『「諦めの壁」は完全に打ち破ることができた。』

・・・あーそーでっかー?(と松田優作風に言いたいわ!)・・・

『その自信と誇りと共に今、ここから日本の令和の新しい時代を・・・』

・・・この辺は、ちょっとニュールンベルク党大会のナチス総統閣下風のムードだぜ!・・・

ハイライトの「復興五輪」の項目では、やはり出た!

『福島・・・かつての原発事故・・・サッカーの聖地に生まれ変わり、(そして何と言ってもコレ!)「子どもたちの笑顔」であふれています。』

・・・歌舞伎の決め台詞か!・・・

 

役員買収して「買った」五輪。その挙句、今でも会長さん(竹田氏)は、国際的に刑事責任を追及されかねい状況となり雲隠れのまま。トップが逃げ隠れしたまま進める五輪って一体何?

3兆使って選手村のベッドは段ボール製。3兆どこ行った?

私たちは、今回の東京オリンピックには諸事情考え断固反対です。今でも。

中東情勢の影響。テロの懸念からアメリカの選手団は、護衛の陸軍特殊部隊付きで選手村入村とかなったりして?(当然武器も装備で)

そうなれば他の国も我も我も・・・各国の特殊部隊だらけの五輪選手村?

ここは内戦地帯か?などという想像までしてしまう・・・本当に。

心配で不透明なそして超絶な国民財政圧迫の代物・・・

今からでも止めてもらうに越したことはない。

 

そして何より違和感があったのは、例のパクチー栽培で移住したHさんの件だ。

いかにも自らの地方創生策の下での移住促進が功を奏したかのように美談としてまつり上げている。

「若者が将来に夢や希望をもって飛び込んでいくことができる。地方創生の新しい時代」をつくり上げていくと言うのだが、田舎移住というのは私の持論ではそもそも「今の社会のありよう」に疑問を感じるからこそ、その問題性が最も色濃く出ている都会(物価も高い。ストレスフルな不安定バイトなど・・・)を逃れて自由度の高い田舎で自分の世界をクリエイトしようという指向ではないのか?

「今の社会のありよう」を田舎のスミズミまでも(都会にあきたらず)浸透させようとするような国策的田舎移住には、私は正面から反対だ。(詳しくは私のyoutube動画「田舎移住の注意点」シリーズをご覧ください。)

国家のお膳立てが地方移住のキメテなどという誤った考えを流布しないでもらいたい。

 

果たして、かの総理の持ち上げていた「モデルケース」のパクチーH氏はさっさと今ではその田舎から逃げ出しておられるそうです。(ご本人は自分のエピソードを実名で演説に使用されることを許諾してはおられません。無断での実名使用でした。従って私は、迷惑の連鎖は行いたくないのでH氏と表しています。新聞紙上では、実名が出てしまっていますが。)

 

他にも「我が国には意欲と能力あふれる女性たちがたくさんいます。」という唐突な一節だが、一体何のつもりなのか全く意味不明だ。私個人としては、何故かこの一文にはとても不思議な一種、腹の底から笑ってしまいそうなアホさ、又、それでいて首を100回程ひねりたくなるような不可解さをミックスしたような複雑な違和感を覚えた。2日間程、色々と考えてやっとそれなりにたどり着いたのは、これはきっと「日本の女性たち」という極めて自分とは遠い、何か対象「物」として女性たちをとらえている主体からのメッセージではないのか、という推論である。

我が国には「意欲と能力あふれる政治家たち」がたくさんいてくれるといいのですがね。総理!

 

北朝鮮と「不幸な過去」を清算して、なんと「国交正常化」を目指すのだそうです。(昨年も同じことを言っていた。)仰天!

 

今までの歴代の首相は、各々にそれなりにカラーがあったと思う。

昭和の頃から当然、各人なりの比重・重点のかけ方というものが施政方針演説にも表れていた。成長経済重視型とか安定秩序指向型とか・・・

でも、この安倍総理のはいつも「何もかも目指します。出来るハズです。夢だらけです。」だ。

つまりは、何も本気でやる気はないということか。(既に判ってはいるが。)

 

でも一方、見方を変えれば今の我が国の現実と全く切り離して、単に国家指導者の方針演説として(つまり単に作文としてスピーチとして。)評価すれば、これはかなり高得点なイメージ系の秀作品だ。そこが大問題なのだ。

中身は、完膚なきまでに腐りきった悪臭を放ちはじめている腐肉の楼閣。

でもとにかくキレイゴトと夢が欲しい国民。現実を見たくない日本人。

そんなどうしようもない東洋の島国の住人たちにとって、安倍総理は理想のリーダーなのかも知れない。家族同士の深いキレツをかかえ、かつ先の見えない破産寸前の家計なのに派手なパーティーを開いてバカ騒ぎし、周りの人たちもそして誰よりも自分たち自身を誤魔化して、終末へ向かって行く破滅家族のご主人のようだ。

東京オリンピックとはそういうものだ。

ちょっと前のラグビーワールドカップの異様なまでの「国家的持ち上げ方」「ワンチーム」・・・その辺からパーティーはもう開いていたのだろうか・・・

 

最後に、もしその挙句一家で心中することになっても決してそんな無責任なご主人は一緒に心中などせず、一人で逃げて行くのだということも忘れてはなりません。きっとドバイ辺りにでも。

フランスのスト

フランスのストが止まらない。

昨年(201912月初旬に年金制度の改悪阻止を訴えて始まったフランス全土を覆うスト。

鉄道やバスなど主要な交通機関の労働者を中心に、教師・弁護士・主要な文化施設の職員まで参加し、ほぼ「ゼネスト」と言うに値するものだ。

「クリスマス頃には終息か?」という見方も当初はあったが、越年しても止まらない。マクロンも相当、ガンコなのか、今更すり寄りようもなくなったのか・・・

 

年金制度改悪と言っても、我が国のそれよりは余程ましなものなのに『人生を楽しむことが、至上の価値』と心得るフランス人は、「一体いつまで働けというのか?」と怒りを隠さない。

そもそもバカンスという制度(労働者が3週間の休暇を取る権利)もかつて、大規模なゼネスト100年近く前に行って、フランス国民自らが勝ちとったものだ。

納得できないことが国家や体制の側にあれば、彼等は自分の内にためこんだり、又、国がやってくれる(上から降って来る)のに期待するほかないとあきらめたりはしない。

やる時はやる。例え戦車が迫っているような時でも。

かつて、第2次世界大戦の独仏開戦前にナチスドイツの侵攻に備えて、マジノラインという要塞線の建設をフランス陸軍は進めていた。ところが、その工事の最中、工事現場労働者の待遇等をめぐって大きなストが起き、要塞の完成は大幅に遅れ、その完成が開戦に間に合わなかったというエピソードもあった位だ。

 

日本なら、特に今の日本人ならいくら「9条信者」の日本人でも「なんというエゴイストたち。一体、国家の危機を国民として何と考えてるの!」と罵りたくなるのでしょう。たとえ「9条信者」でも・・・

じゃあ、フランス人って愛国心が薄いんでしょうか?

それは、絶対に違います。あの人たちほど愛国心のかたまりみたいな国民も少ないのです。

フランス人は、昔からよく言います。

「ドイツ語は馬のいななき。英語は盗人のひそひそ話。フランス語は天使の歌声。」

徹底的なアメリカ嫌い。まずい下手な料理のことを「イギリス風の味付け」と言ってはばからない。ナチスに占領されてからも、世界中の誰もが知っている歴史に残るレジスタンス活動による抵抗。そしてパリが解法された時には、占領下でナチスに与した女たちは、「裏切者」「フランスの恥」として、市民の手で丸刈りにされ、街中でさらしものにされたのです。

なんとすさまじい国粋的とまで言える愛国心

 

先述の国防に支障をきたすまでのかたくななストの決行とこんな愛国心は一見、正反対で矛盾するように日本人の目からは見えてきます。

でも、実はこれはフランス人の国家観の単なる表と裏で一体なものだと私なりに思うのです。それは、一言で表せば国家というものを客観視した上で本当の意味で自分のものにしているという精神構造であろうと思うのです。

本当におかしいと思うことがあれば率直に言う、これだけは我慢できないと強く感じる重大事があれば素直にはっきりNOと言い、それをつきつける。それを判ってもらえるまで。それが、ゼネストなのでしょう。

 

今までそうやって国家と向き合い、付き合い、取っ組みあってきたからこそ、フランス人はフランスという国を本当の意味で「自分の」国だと思えているのでしょう。

これは、とても大事なことだと思います。

フランス人にとって、フランスは「自分の国」なのでしょう。

これは「夫婦的」な国家と国民の間柄です。

 

本当の愛国心とはそうして生まれてくるものだろう。「自分の国」「私の国」。

言いたいことを言えるから愛せる。

小学校の道徳の時間で富士山を見せて、美しいと言わないと✖という評価をして、「ホレホレ日本はええ国やろ。」「ええ国って言え。」「ええ国って思え。」とかやっても本当の意味での愛国心が生まれる訳ではなかろう。

 

果たして日本はどうでしょうか?

目下のこのフランスの年金ゼネスト自体が、現代の世界情勢の中で歴史に残る大事件ですが、我が国のマスコミはほとんど取り上げようとしません。(意図的なのは判っています。)

日本人にとって日本という国家とは、戦前の大日本帝国時代は、恐らく天皇制を基軸にした上下関係的な秩序の下、分派的所業を許さず、単一的結束を成すことを旨とする政治観念としての「国体」というもの(この定義は私が今、考えたものであり、政治思想史の専門家や研究者の受け売りではないので正確ではないかも知れませんが。)が、あたかも一人ひとりの日本人の頭(精神)の上に漬物石のように乗っていて、それによって決して抗えない絶対的な存在だったのでしょう。

フランスの場合の夫婦的関係ではなくて、嫁と舅的関係?使用人と主人?奴隷と領主???いずれか?

戦後、アメリカの占領の下、形だけは民主主義、国民主権の国になり、新憲法も発布されましたが、この発布も実は天皇の名の下になされたものです。(御名御璽とある。)

 

又、白井聡氏の唱えるように戦後は、天皇(菊)の代わりにアメリカ(星条旗)が国体の中身になっただけで従属的国民観は戦前と変わらないのかも知れません。つまり、対等に意見を交わし合い、その結果対等に愛を交わし合えるような間柄ではないのでしょう。(今日のフランスが、そういう意味で理想的な状況だとフランス賛美的に言う気はありませんが、彼等がその理想を追い求めないといけないという情熱を持っていることだけは確かでしょう。この点が、今日の日本人とは全く異なっています。)

 

今日、ネット上でフランスのとある地方からパリのルーブル美術館へ「モナリザ」を見れればとはるばるやって来たご婦人のインタビュー動画が出ていました。

曰く、「モナリザ見れないのはとても残念だけど仕方ないことね。今、ストをしないのならそれは、ルーブルが本当のルーブルでなくなってしまうということですもの・・・」

これが、フランス人のストの意味・重要性を判り、それを支える心なのでしょう。

日常生活がとても不便でも、それに耐えることが各々の「闘い」。それが判っているのでしょう。社会を国家を良くする為に。

とある日本人の妻が「3週間も休みがあるなんて、フランスはいいね。恵まれてて。」とフランス人の夫に言うと、「私たちはそれを1つ1つ闘って勝ちとってきたんだ。国家が何かしてくれるのを口を開けて待ってるだけのあなたたちから言われる筋合いはない。」と言われたそうです。全くその通りですね。

 

今日の日本の社会・政治の諸状況。「閉塞感」などという言葉が言われて久しい。

首都圏では、ほとんど毎日鉄道への飛び込み自殺があり、ダイヤが日々乱れるらしい。

かの初出社日の16日、新宿駅南口の歩道橋から公衆の前で首つり自殺があったらしい・・・

 

総理は「我が国は諦めの壁は完全に打ち破ることが出来た。自信と誇りの日本、オリンピックの年」と言っているが、そのオリンピック元年(1年で終わりに決まってるけど)の正月の首つり自殺。きっと何かを示したかったのでしょう。その人は。

野党にがんばってもらうのも良いかも知れませんが、こんな日本を変える最後の手段(決定的な最終戦法)はゼネストによって政権崩壊させることしかないと私は思います。

途は長いでしょうか?もうそんなに猶予はないのですが・・・

 

「フランス人のあの愛国心も困ったもんよ。ホント、フランスが一番って思ってるんだから」って、映画「マダムマロリーと魔法のスパイス」(監督ラッセ・ハルストレムヘレン・ミレン主演)を見た私が言うと、映画を作っている高1の息子が、

「それはね。フランス人は、国に対し要求することはしてきたことによって国家を自己化できているからだろ。」と言っていた。

なかなか鋭い奴だなと思った。

父親不在の「エコ」の行方

「エコブーム」「オーガニックブーム」などと言われて久しくなりますが、いつ頃から始まったものなのでしょうか。我々が自営業を始めた15年ぐらい前でも「オーガニック」を唱えているとまだまだ世間の人もよく意味がわからなかったように思います。

 

「エコ」とか「オーガニック」とかいう言葉は間違いなく例のバブル崩壊後、いわゆる不況が基調になってからポピュラーになってきたのだと思います。

「自然志向」とか「無添加」とか「無農薬」とか「身体にやさしい」「地球にやさしい」「自然にやさしい」などといったスローガンのもと、自然食品がもてはやされたり、有機野菜がブームになったり、オーガニックコットンが着心地いいなどと言って高くても買ったり、オーガニックレストランなどができたりしてきました。

 

京都でもいわゆる自然食品のお店に長蛇の列が出来たり、よつばやオルターなどオーガニック系の食品の供給組織がにわかに会員を増やしたりして結構なブームになってきたものです。

その後、いわゆる3・11福島の大事故があったことは記憶に新しいと思います。

ああいった事故があって、その後環境の大切さとか健康の大切さといったものを日本中が痛感したはずですからそこから一気にオーガニックブームとかエコブームといったものが高まるかと思いましたが、そう思いきや私の印象ではかえって3・11後しばらくしてからオーガニックブーム・エコブームは以前にも増し下火になった気がします。

 

2008年のリーマンショックを機に空前の徹底的な不況が日本を覆っていました。その頃からそれまで好調だった自然食品の売れ行きが低下し、いくつか京都でもできていた自然食品店がお店を閉めたり、私も加入していたある自然食品系を扱っている配給組織は大変な会員不足にあえいで窮地に立たされたりといった事態も出てきました。そんな中での3・11でした。

 

考えてみればとても疑問なことでなぜこういった環境の大切さを認識させられるような事故の後、オーガニックブームがかえって盛り上がらなかったかということですが、私が思うにやはりこの日本の「エコ」とか「オーガニック」というのは文字通りブームであって本物ではなかったのではないかということなのです。

 

バブルの頃、「ジュリアナだお立ち台だミニスカだ。」と言っていたのが「もうそんな時代じゃない。ロハスが気持ちいい。」と言って生成りのカットソーのオーガニックの服を着たり、農園ファッションをして麦わら帽子をかぶったりというように言ってみたらファッションは変わったのだけれどもそれだけのことだったような気がするのです。

 

身体にいい・気持ちいい・優しいなどというムード的なこととや車についてもバブルの頃はハイソカーだのフェラーリだの言っていたのが、「これからエコの時代だからエコカーだ」と言ってみんなハイブリッドカーに乗るようになったのではありますが、そのハイブリッドカー自体も2回程度の車検を経て多くが廃車しているとか、考えてみれば全く実際のところはエコではないのだけれども単に低燃費だからとか、「今の時代ぶっ飛ばすような車に乗っていたら時代遅れだと思われる。」「こういった車に乗ってる方が上品な人だと思われる。」とか「賢そうだと思われる。」そう言って乗っている人が多かったように思います。

本物ではなかったのです。

 

慢性的な不況というものを基調にしてそれまでのいわゆる「イケイケな」ブームから「地味な」ブーム、環境に優しいとか上品なテイストのものが好まれるようになったのでしょうが、これはあくまで流行とかテイストの問題でロングスカートがいいかミニスカートがいいかといったことと似たようなものだったのではないかという気がしてならないのです。

 

エコグッズ・エコファッション・エコカーなどと言いますがすべて究極のところは金儲けのための新しいトレンド商品であり、「エコ」なのか「エゴ」なのかよくわからないものだという印象を持っています。

この地味なブームないし流行というのは不況とか低成長時代にこそ似合うものであって、言ってみたら慢性的不況といったものを成長の土台ないし環境(母なるもの)として生えてきたキノコのようなものだったような気がします。

 

しかしながら、例えとして悪いのかもしれませんがどうも私の印象ではこの日本の近年の「エコブーム」「オーガニックブーム」というのは言ってみればなんとか子どもを養おうという気弱だけど優しいお母さんはいるのだけれども背骨になってくれる強い父親がいない母子家庭のような気がするのです。(母子家庭でも父子家庭でも構わないのですが)

持続可能とか未来の為にとか色々なスローガンを唱えてはいるのですが、何故「エコロジー」が必要なのか「オーガニックな暮らし」が必要なのかということ、その本質そしてそうしようと思っても社会の大勢はそのようなものではない、そうはいかないこの世の動きは一体何が原因なのか。そしてそれに対してどのように自分たちの暮らしや命をディフェンスして健やかに自らを保全していける、そして未来に健やかな種を残していくべきなのかと言ったことの根幹になるような思想が抜けているような気がするのです。

 

よくエコとかオーガニックがいいという方の唱える「持続可能性」という言葉ですが、「石油文化は持続可能でないから持続可能なエネルギーに切り替えるべきだ。」とか言うのですが、例えば小規模水力発電を作って「持続可能だ。」と悦に入っていてもそのタービンの部品を取り換えるためにはやはり部品供給会社が永続していかねばなりません。もしそれが壊れてそれを生産してくれる会社がなくなったらたちまち持続可能でなくなるわけです。

持続可能な農業、有機農業など言いますが、持続可能な飼料としての鶏糞や牛糞、畜糞といったものがいいと言うのですが、そういった畜産業というものが永続するかどうかそんなことも言ってみればわからないことなのです。

 

一方で石油文明は困るということですが、抑制的に使っていって消費量を減らせば新しい油田も年々いくらかは見つかっているわけですから逆に先ほどの「小規模水力発電」よりも却って持続可能かもしれないのです。

どうも「スローガン」や「言葉」だけが空回りしているような気がしてなりません。

 

エコなもの、オーガニックなものを新しく作り出すことに熱心でありますが、いくらエコなグッズ、装置であっても新しく作り出せばそこにいくらかの地球に対するインパクトが生じることは間違いありません。

考えてみれば原発に代わる発電として素晴らしいと言っていますが、太陽光発電にしてもその通りです。あのパネルを作るのにどれだけの環境負荷がかかっているのか、そして20年と持たないと言われているパネルが耐用年数を過ぎた時にどうやって廃棄するのか、誰も考えていないのです。なのに「これは素晴らしいエコな代替エネルギーだ。」と言って推し進めて「静かなる革命」などという映画まで作って悦に入っているのです。どうも疑問に思えてなりません。

原発で一儲けしようとする奴も太陽光パネルで一儲けしようと思っている奴も同じ人種だ。」と言っている人がいましたが、まさにその通りだと私も思います。

 

成長を目指していわゆる昭和世代以来続いてきた拡大経済、資本主義経済。なんとか景気をよくして難局を乗り切ろうと「景気回復こそ未来への道」と自民党はよく仰います。基本的にそういった方向で日本はやってきたわけです。世界のうち多くの国がそのようにしてやってきたのだと思います。

その結果様々な環境破壊がなされたり、過剰な生産がなされたり、

我々の身体にあまりよくないようなものでも目先の利便性や目先の快感、目先の面白さ、目先のおいしさのようなもので販売し購買をあげている製品がたくさんあります。それによって我々の健康や生活が蝕まれてきたこともまた事実です。

過剰な医療などといったものもその一分野と言わざるを得ません。

 

ならば余計なことをしないこと、やりすぎないこと、作りすぎないこと、消費しすぎないこと、最小限で済ませることこそが、まず本質的に大事な「エコ」「オーガニック」の第一歩ではないかと私は思うのです。そうでなくて「オーガニックグッズ」「エコグッズ」を次々と作り出してブームにしているというのは新しい消費の為のネタを作り出していることに他ならないと思います。

 

拡大再生産という言葉がありますが、成長し続けない限りは破綻してしまうという経済の仕組み、そういったもの自体が本質的にエコと相反しているわけです。本質的にエコと矛盾しているわけです。ならばそういった商業主義的資本主義に基づく拡大経済というものを根本的に改めない限りは本当の意味での「エコ」「オーガニック」というものは実現しないと思います。

間違いなくそこにある現在の社会の本質的な構造、経済的構造、政治的構造、国家的構造といったものをきちっと理解し、それをどのように変革していくか、また我々がそういったものの影響からどうやって自己保全、防御を行っていくかということを考えていかねばならないのです。

本物の「エコ」「オーガニック」を実践すれば間違いなく資本主義の経済原理と相反する現象が生まれます。これは不可避なことなのです。

現代多くの政治学者や環境活動家などが世界中で「気候変動」の問題の解決は現代の資本主義に立脚した経済構造(見込み生産、アマゾンお急ぎ便のような負荷の大きい流通システム、コストコ・プラントのような大量消費)のままでは不可能と訴えています。

現代の経済システムに立脚した「パリ協定」のようなものでは最早手遅れというのです。(なのに「パリ協定」ですらまだ発進できていません!)

 

よくエコとかオーガニックとか自然運動のようなものをやっている人たちは「イデオロギーというものは必要ない。」とか「イデオロギーは苦手だ。」という言葉を仰います。

「自然につながっていけばいい。」とか「平仮名で考えられることでいい。」とかいう考えです。確かにまずイデオロギーだけが暴走する必要はないと思いますが、今の資本主義経済と言うものはイデオロギーのバックボーンを持っています。

「成長経済こそが善である。」としてそれに基づいて利益を上げるために企業活動を推進することが不可欠であり、国家はそれを第一の使命としてバックアップしていく。そしてそのもとで繁栄を目指していくのが正しい国民の在り方であると。

間違いなくイデオロギー的なバックボーンを持ってそれに基づいた施策、方針といったものを実行しているわけです。それを変えるのならば新たなイデオロギー的なバックボーンをきちっと持って、新たな社会秩序というものを自ら提案し、提示しそれを実現していくことが不可欠となるのです。

そして今ある社会的な仕組みやイデオロギーといったものとの相克の中でいかなる着地点を見いだせるかということを模索していかねばならないのです。「イデオロギーは嫌いだから。」と言っていても今ある言ってみれば反エコ、反オーガニックな仕組みというのは確かな自らのイデオロギーを持って驀進してきているのです。

 

ですから「イデオロギー的なことにこだわる必要はない。」というのは明らかな逃げ口上です。

よく自然主義、エコとかオーガニックと言った市民活動をしているような人たちの集まりの中には「対決はよくない。」「対話すればいい。」ということをおっしゃる方がおられます。確かに対決しなくても対話で解決すれば問題ありませんし、融和していくのが一番いいのは間違いないと思います。しかしながらもはや生活のいろいろな局面で我々の暮らしや健やかさが現実に危険にさらされるような状態になってきているのは否定できません。農薬や除草剤の無節操な散布を勧めるようなキャンペーン。小さい子どもに対してもどんどんと必要があるのかないのかわからないようなワクチンを注射しろといったようなキャンペーン。ヨーロッパの基準の何千倍・何万倍という農薬を使っているイチゴが堂々と売られているという現実。世界で飛びぬけて多い3千種類を超える食品添加物が認可されているという現状。迫りくる放射能の危機(それゆえ台湾では国民投票で日本の農産物は輸入しないことが決議されました。)蔓延しているアレルギーやアトピーやそして様々な低年齢者の心の病。こういったものはすべて売らんかな、儲けんかなといった商業主義的な世の中の影響によって生まれてきているものなのです。人間自体を食い物にすることによって今の経済は延命を図ろうとしているのです。

 

「対決は嫌だから。」とか「あまり争いたくないから。」と自分たちだけはロハスな暮らしをしていたいからとそれで済むのならいいですが、否応なしに影響を受けざるを得ないような状況になってきていると思うのです。いくら自分だけが自然食品店で自然食品を買っているからいいと言っても100%ディフェンスできるわけではありません。

 

エコブーム、オーガニックブームと並行して田舎移住が脚光を浴びてきました。

現在のこういった害悪から逃れて田舎で健康に子どもたちを育てたい、エコな暮らしをしたい、オーガニックな毎日を送りたいといった願いを持った人たちの田舎への志向です。

私たちも事実、田舎移住を繰り返してきました。

しかし拙い経験から思うことは、いくら田舎に移住しても、例え北アルプスの山頂に移住しても現代社会のこういった影響は受けざるを得ないということです。

都会よりも却って近郊部や田舎に移住したためにすぐ横にある果樹園や田んぼにとんでもない量の農薬がまかれていてそれを直接浴びないといけない状態になるとか、田舎ほど自然食品店などはなくて添加物が満々と入ったレトルト食品のようなものばかりを食べないといけないとか、そういった矛盾も待ち構えているのです。

 

エコとかオーガニックといったブームが本当に我々一人ひとりの身体、生命の安全を守って健やかな幸福追求できる暮らしを実現し、そして未来へ向かって健全な種を残していくように、子どもたちが健やかに育てるようにしていくためには単なるブームではなくて、最終的にはそれを社会変革の政治運動へと昇華していかなければなりません。

そのためには既存の社会システムや経済の仕組みとある程度、対抗的に向かい合わねばならないことは間違いありません。そして困るものがあれば対決し、打破していかねばなりませんし、そこでは対立といった構図はある程度やむを得ないものがあるのだと思います。敵対しなければならないことも出て来ると思います。

自分達自身のため、また愛すべき子孫のために、安全にそして健やかに生存できる世界を我々自身の力で勝ち取っていかねばならないのです。「宇宙からのリズム」「よい波動」?ロックのhideさんの曲じゃないですが、♪何年待っていても何も降ってきやしないんだろう~♬(ロケットダイブ)

 

きちっとしたイデオロギー的なバックボーンを持ってなすべきことを推し進める力強さがないとこの運動は単なるブームのようになって金儲けの新たなネタにされたまま雲散霧消していくのだろうと思います。今、そのような傾向にむしろなっているのだと思います。

俗な比喩で恐縮ですが、気弱だけど優しい母親と年頃の娘の家庭。「一儲けできるぞ。」とよからぬ商売に娘を引き込もうとするおっさん。こんな構図の下ではやはり強い父親のような存在が必要なのです。

 

今、世界に目を向けると従来型の政党に対して市民運動に立脚し貧困問題、人種差別、格差解消などを訴える改革的政党や団体はほとんど例外なく「エコ」や「オーガニック」を政治信条にしています。両者の不可分な関係が見てとれます。

我々一人ひとりが危機感を持って本当の「エコ」「オーガニック」を推し進めねばなりません。そして日本の野党各党も「エコ」「オーガニック」を党是として改革に立ち上がっていただきたいと思います。

自然食品さえ買っていればいいという時代はもう過ぎたのです。

 

私はこの問題に関して決して楽観的な展望は持っていません。
もし仮に私のこういったブログのような類いの言論が広まって人々がオーガニックな食品ばかり求めるようになったらどうなるでしょうか?「結構じゃないか。オーガニック社会がやってくる。」でしょうか?
私はそう簡単にはいかないと思います。そうなればきっと現代の「普通の食品」の大半を「オーガニックテイスト」「オーガニックに配慮」「無添加食材使用」などと紛らわしい怪しげな色づけをベタベタと塗りつけて本物のオーガニック食品との区別がつかないように工作して売り出すのでしょう。
「持続可能な農産物」などというフレーズも間違いなく使われるはずです。すでにこういった動きは感じられます。JASなどの認証制度もその基準を極めて甘く実質無意味なものにしていくことによってその流れに加担していくでしょう。本来的な意味を反映しない意図的な表示が概念の乱れを産み出すのです。(認証制度は経済の一部ですから。)
最後は本物のオーガニックブルーベリージャムに100%有機栽培の原料使用といった表示をされると困るので(0.1%だけオーガニックブルーベリーが入っているだけの商品もオーガニックブルーベリージャムとして同じように売りたいので)原料内容表示自体を廃止・禁止するといったことも国策として為すかもしれません。(知る権利を奪う。)政治と経済は一体です。
「0.1%以上自然食材が用いられていればオーガニックと表示することを閣議決定した。」とどこかの総理大臣がいつもの調子で発表すればそれで終わりです。

「エコ」「オーガニック」というのは現代の資本主義の利潤追求のためには例えいくら人間の健康・安全を蝕んでも構わないという攻撃から私たち自身をそして未来を担う子どもたちを守るための防衛戦に他ならないのです。上から与えてもらおうと思っているだけではそれは絶対に不可能です。自分達の頭で考え、目で見極め、そして連帯して求めていかねばなりません。闘っていかねばなりません。
「エコ」「オーガニック」それは現代に於いてピースフルなフレーズではなく、闘うためのスローガンなのです。たとえそれが日々の暮らしの中での日常的で静かな闘いであっても。私たちの何気ない日常こそがこの闘争の主戦場であることを忘れてはなりません。

愛国心シリーズ第3回「都大路と愛国心」

 

 

 私は京都人です。京都というのは大きい都市の割に道が狭かったり複雑に曲がりくねったりしていて、他所から来られたドライバーの方はとても鬱陶しいことも多いようです。近年つくられたいわゆる計画都市ではないのです。それゆえに仕方ない面はあるのですが、大通りと言ったものが割と少なく比較的車線幅も細いところが他の都市に比べると多いと思います。

 しかしながらその中で際立って飛びぬけて広い通りがいくつかあります。堀川通五条通御池通などです。他の通りに比べてとても広いのです。また北区の紫明通などは交通量は極めて少ないのに不自然に広いのです。これはなぜでしょうか?実はこれには悲しい過去があるのです。

 第二次世界大戦の末期。日本が敗色濃厚になってくると大都市にB29による爆撃が次々と行われました。皆さんもご存じの通りです。かの東京大空襲。いかに人類史上悲惨なものであったか繰り返して言うまでもありません。

 京都でもやがて空襲があるだろうという話になったのです。終戦の年のことです。19453月大阪に大空襲があり京都の人たちは南の空が真っ赤に燃えているのを見て心の底から震え上がったとのことです。「ああ、次は京都も来るかもしれない。」と。

 1940年以来、防空法というものが作られ内務大臣の指示の元、都道府県で防空計画を立てて各市街地に防空対策を行うこととなりました。主な対策としては建物を破壊し空間地や空地をつくることによって一か所が燃えても延焼するのを防ごうと。いわゆる破壊消防であります。しかしながら東京大空襲の時、いくらこのようなことをやっていても絨毯爆撃をされると何の効果もなかったということは明らかなのでした。しかし大阪大空襲の余波もあり、京都でも終戦の年の1945年の春に「これはぜひ建物疎開を行って強制的に広い通りや空き地を作って京都が全焼することを防ぐように対策せねばならない。」ということになりました。

 そもそも1943年に都市疎開実施要項というのが閣議決定されましたが、この段階では京都はまだこの対策の中には入っておりませんでした。しかしながら同年に新築の制限だけでなくさらに既存の建物も破壊してもよいという防空法の規定が付け加わり、そして先ほど述べたような諸所の大空襲の影響もあって取り乱すように矢継ぎ早に1945年の春に京都で建物を取り壊して京都の町をいくつかブロック化し延焼を食い止めるための対策を行おうということが実施されたわけです。具体的に選ばれたのが五条通御池通堀川通紫明通などでした。さらにその他のエリアにもいわゆる「建物疎開」建物取り壊しを行って大きい余地・空地を作ろうということでしたが、そこまで間に合わぬうちに終戦になったのです。

 私の母方の曾祖母は京都の西陣の有名な織屋の女将でした。今でもその本家は堀川通上立売を西に入った西陣の一角に残っています。かつて私の曾祖母が女将をしていたそのY家という西陣の織屋は大した名門で大富豪でした。女中さん、丁稚さんを合わせると何十人もおり別荘もいくつも持っておりいわゆるプライベートベースボールチームのようなものまで持っていたという有様でした。曾祖父は京都のかの有名な色街の島原の太夫を身請けしておられたというくらいです。どれだけ大変なお金だったかということはよくわかることです。私の祖母はその島原の太夫さんに教育係として育てられとても怖い人だったとよく述懐しておりました。いわゆる武芸百般に長けており読み書きや行儀作法などを教えてくださったそうです。

 そんな名門の織屋でありましたが、先ほどの防空計画に従って大きな屋敷の大半を取り壊される羽目になったのです。疎開票というのが貼られ、これは建物の赤紙と呼ばれ恐れられていたものでした。

一切逆らうことはできず大きかった屋敷の大半が縄をかけられ潰されていったのです。それは終戦になる年の春でした。もちろん有無を言わさぬことです。

 建物が壊され家の中がむき出しになり、でもその壊されて残った建物の壁に張る板一枚国はくれなかったのだと私の祖母は嘆いておりました。涙が出てきたそうです。一同で堀川通に立って屋敷が壊されるのをただ呆然と眺めていたそうです。「泣いたらあかん。文句言うたらあかん。絶対あかんで。非国民や言われるし。」と曾祖母は大声で叫んでいたそうです。周りの人達は「ほんまにお宅可哀想どすなあ。大変どすなあ。えらいことどすなあ。」とひたすら同情してくれたそうです。でもわかっていたのでしょう。私の祖母も。曾祖母も。みんなそのことに同情はしてくれるけど、もし文句を言ったり「嫌だ。」と言ったりしたら「非国民」と急に手の平をかえしたように攻撃してくることを。

 戦時中とはそういうものだったのです。言ってみれば一つの選ばれた生贄でありました。そのことをみんな「可哀想だなあ。大変だなあ。ご苦労だなあ。」とは思うけども生贄に選ばれた以上、「潔く生贄になっておけ。ごちゃごちゃ言うな。」と言うことだったのでしょう。(今日、沖縄の基地問題について現地の人たちが様々な被害を訴えると「黙っておけ。」とばかりにバッシングする本土人のネット言論にも一脈通じると思います。)

 そして建物を取り壊してからほんの3ヶ月、4ヶ月もしないうちに終戦の日がやってきました。京都には大きな空襲は一切ありませんでした。

 「一体何やったんや。あれは。」皆思ったそうです。「潰したと思たら戦争終わったやんか。何のためにやったんや。」終戦になってから皆、口々に口惜しく思ったそうです。

 もちろん建物疎開、いわゆる強制取り壊しをする段階ではその分についての補償は行うという前提で取り壊しを行ったそうですが、戦争中は実際にそのような支払いは一切ありませんでした。戦後、ほんの三年間くらいだけ戦争中に有効であった防空法を援用して賠償金の支払いの受付をしていたと言いますが、一般に周知徹底されていたわけでもなくそのことによって十分な補償を受けたお家は京都でもほとんどなかったように思われます。事実、私の祖母も「今の今まで一円も国からはもろてへんのや。」といつも私に言っていました。

 この辺りの経緯は京都大学出版会から出ている「建物疎開と都市防空」という川口朋子さんという研究家の書かれている本に詳しいです。大変有意義な研究であると思います。この方が博士学位を取得された時の京大の博士論文審査の時の台詞が大変洒落ているなと思いました。

 「人災としての戦災をあぶり出した数少ない研究であり貴重であり博士論文に値する。」というものなのです。まぁ言ってみれば戦争と言うのはすべて人災ですが、このように直接敵軍の攻撃により破壊されたわけでもないのにわざわざ前もって行政が建物を取り壊したというのは人災としての戦災というわけです。(沖縄戦では上陸してきた米軍よりも日本軍によって殺された人の方が多いと言われています。赤ん坊は邪魔になるからと注射で毒殺したり、ちょっとこれとも似ていますね。)なかなか考えた表現だなと思いました。

 言ってみればそれは当時の国家がやったあまりに国民として納得できない所作に対する一つの表現であるのかもしれません。「人災としての戦災」・・・

 

 先述しましたように私の母方の本家は大変な富豪でありましたが、このように戦争中に建物・工場の大半を取り壊されたため戦後の復興景気の時にその波に乗ることはできませんでした。そしてかつては弱小だった後発の同業者にどんどん追い越され、没落していったわけです。

 もう一つY家が没落したのには理由がありました。それは後継者であった「太郎さん」という人を陸軍兵士としてとられ、戦車隊として長く出兵した挙句にレイテ島で戦死され、後継者を失ったからでした。

 

 国家というのは暴力装置であるとか、国家は暴力的であるという言葉があります。マルキシズムの専売特許の用語のように思っている人もいるかもしれませんが、そうではありません。要するに国家というのは一切交渉できる相手ではないということです。たとえいくら強引な人であってもまたヤクザであっても何とかこちらが相手にかなうような条件を出して交渉したり、誠意を示したり、いろいろな情が移ったりすれば、多少は遠慮してくれたりまた交渉の余地もあるものです。

 

 先ほどから述べているようないわゆる戦時中のような非常事態の時はもちろんのことですが、そうでなくても平和である時代、昭和であっても平成であっても令和であってもこのことは変わりないのです。

 建物の強制収用などもちろんそうです。いろいろな認可の問題等々。どんなことであっても自分の規定を持っていてそれについていくらこちらが合理的な主張を行ってもこういう規定だという一点張りで一切、聞いてはくれないのです。この辺りについては絶対的なのです。国家が暴力的であるというのはそういう意味です。言ってみれば絶対的と言っても良いのかもしれません。

 

 先ほどの戦時中の京都の強制疎開・建物取り壊しなどはその最も最たる例です。まぁ、それは仕方なかったことだなぁ。戦争のことだから。昔のことだから。そうでしたか。大変でしたねぇ。ということかもしれませんが、それで済むことなのでしょうか?もちろん私とすれば大変な富がそこで失われてしまったわけです。もしこのようなことがなければもっと私の懐にも母方からの遺産がやってきたかなどという現金なことも実際ないわけではありませんが、そういった意味で国家が腹立たしいからこういうことを言おうなどというわけではないのです。

 

 「愛国心」ということがテーマでしたね。話をそちらへ戻しましょう。考えてみてください。今、急に空襲があるわけではありません。しかしながら「北朝鮮のミサイル(最近は飛翔体とか言うそうですが)が飛んでくるぞ。」ということで防空訓練をする、避難訓練をするということが行われていました。最近でも5000億出してイージス・アショアという防空システムを買ったという話です。防空のためにもっと徹底した措置を行わねばならないと現在の政権がいつ言いだすかわからない、言いださないという保証はあり得ないのです。そんな時に想像してみてください。

 あなたの持っていらっしゃるお家。銀行で大変なローンを借りて建てて「やったー。新築。」のお家。ローン5年払った。後まだローン25年残ってる。頑張ってローン払っている。自慢のお家。

 いきなり「ここはイージス・アショアの基地にするから取り壊します。」と言われたらどうしますか?もちろんそれに代わる十分な補償をしてもらって立ち退きをして、もっと大きな家が建てばそれでいいじゃないか。それならそれでいいのかもしれません。しかしながら先ほどの建物疎開のように「必ず補償はするから。」と言ってそのまま補償されなかったらあなたはどうしますか?もしくは「オリンピックに随分金を使ったので。」「年金も払えないぐらいなので。」と言ってほんの少ししか補償してくれなかったらどうしますか?「そんな馬鹿な。ええ加減にしろ。あほか。」と言いたくなるのではありませんか?でも実際、私の先祖はそういう目に遭ってきたのです。そして今まで一円の補償もないのです。三年そこそこの戦後のどさくさ期に行った請求受付の後は、もう請求はなかったということでこの国はその分の賠償額をすべて京都府の財政に編入する形をとりそれにより賠償責任は一切なくなったということで幕引きを行ったのです。今更もし訴えても一切訴えは却下されるでしょうし、京都府に請求してもそれが通る見込みもないと思われます。

 多くの京都の町中の方がそうして泣き寝入りしてきたのです。反国家的・反体制的な思想などと言わなくとも「あぁ、国というのはそういうものなのだなぁ。そんな時にはそんなことをするものなのだ。」ということで国家、国というものに対する冷ややかな目線や冷徹によく見ていかないといけないなという警戒心や利口さのようなものを京都人は育んできたのかもしれません。

 そしてちょっとした心情的な盛り上げやムードによって「ほいほいと乗らされるようなことはないぞ。」という国家と言うものを或る意味、批判的にそして知性的に観察してやろうという目線をこの人災によって養ってきたのかもしれません。

 

 戦後長く京都では蜷川虎三知事による革新府政が続きました。「憲法を暮らしの中に生かそう。」がスローガンでした。7期28年です。京都はどうも手を出せない革新の城だとか京都はマルキストの巣窟だなどと自民系の政治家は嘆いてきたものです。こういった傾向はかの建物疎開の顛末がその根底にあり、そこから生まれてきたひとつの風土と見るのは穿ち過ぎでしょうか。

 

 もしあなたの大事なお家がローンを組んで建てた大事な新築のお家がそんな風にして国家により取り壊されたら、あなたはこの国に対してどんな感情を持ちますか?

 「お国が言うことだから仕方ないことだから。」「お国が必要なことだから当たり前ですよ。」と思えますか?うちが選ばれて壊されたのは何か生贄だと言う風に思いますか?それとも他人ではなくて自分がむしろ国の為に貢献できる立場になったのだから「名誉なことだ。」「ありがたいことだ。」と思ってあなたは喜びますか?もし一円の補償もしてくれなくても。それがやはり日本国民として当たり前のことだと思えますか?

 「愛国心」があるならそんなことぐらいできるじゃないかと言われた時にそれが「愛国心」だと思えますか?そして「愛国心」を持てますか?また「愛国心」とはそういうものなのでしょうか?国家というのはどんなことを要求してくるのかわかりません。

 

 話は変わりますが、基本的に夫婦というのはお互いの信頼により成り立っているものでいくら愛しているから、夫婦だからと言っても一方が一方に対してあまりに理不尽なことばかり行い何の責任も果たさない状況が続き、またそれが改善される見込みがないというのならば破綻するのは当然のことです。

 国家と国民の関係というのは夫婦の関係とまた別だと。もちろんそれはその通りだと思います。先ほどの夫婦の例のようにお互いの信頼が崩壊しているような場合でも一方が一方に対して圧倒的に服従しなければいけないという考え方はあります。男尊女卑的に考えたりまたあまりにも変態的にマゾヒステッィクに「私は奴隷でもついていきます。」という考え方もあるでしょう。また「そうだ。お前は奴隷だ。言う事を聞け。」と言ったようなSM的な夫婦関係もありえるでしょう。それはそれで個人の自由なのかもしれませんが。夫婦の場合、もし片一方がそれがどうしても嫌ならば離婚という手があります。

 しかし国家の場合、簡単に国民は離婚することができるのでしょうか?少なくとも日本は消極的な国籍の抵触というものを認めていません。すなわち無国籍になることを許さないのです。どこか他の国の国民にならない限りは日本国民を辞めることはできないのです。なかなか離婚はできないのです。ならばそんな状況でいくら理不尽なことを要求されてもそれに甘んじなければならないというのが「愛国心」の主旨なのでしょうか。「愛国心」とはそういうことなのでしょうか。最近「愛国心」という言葉がよくもてはやされていますし、日本の良さや伝統を見直そうという動きもあります。それ自体がすべて悪いこととは私も思いません。

 「日本のまほろば」「日本人の誇り」「美しい日本の国柄」などということがよく言われています。しかしその延長上に必ず「愛国心」という言葉も出てくるでしょう。ムードでこういったものを礼賛したり、そういった集会に出てそういったことを賛美するようなことをお互い言い合って気持ちよくなって気持ちよく過ごしているのは何も問題ないと仰るかもしれません。そうかもしれません。しかし先ほどのようにもし建物を壊されて、とか昔の京都の建物疎開のようなことになった時でもあなたはやはり日本の国を愛しているからということでニッコリしていられますか?それでこそ「愛国者」なのでしょうか。たとえ一円の補償もしないと国家がうそぶいたとしても。

 

 よく「非国民」という言葉があります。「非国民だ。あんな奴は。」「愛国心」がない人間のことを「非国民」と言うのでしょう。でも「非国民」と言う言葉も変な言葉ですね。「非国民」と言うのは「国民に非ず」「国民でない奴」という意味ですね。

 国民でないのなら日本人としての義務など何もないから放っておいてくれればそれで済むのに「非国民」だと言って、その上で日本人としていろいろなことをしないからいけないと非難したりしてくるのです。「非国民」と言うのは本当に変な言葉ですね。「悪国民」「劣等国民」などと言うのならまだわかるのですが・・・

 国家が理不尽なことを行えないようになっていって欲しいなと思うのは私だけではありません。しかしながらもし国家が理不尽な要求ばかり国民にしてきたり無茶苦茶な不合理な要求を国民にするようになるとしたら、それが放任されるとしたら、その母地となっているのはやはり「可哀想だなぁ。」とは言うけれども、もしそれに対して何かごちゃごちゃ言う人がいたらその人のことを「非国民だ。」と責め立ててそれによって悦に入っているような国民全体のムードなのかもしれません。たまたまその人が生贄になっているとしても明日は我が身と思って、みんなで「不合理なことは不合理だ。」と「よくないことはよくない。」と「きちんとすべきことはするように。」と求めていく。そんなことができない風潮が国家の横暴を許していくのでしょう。そして本当に愛を交わし合えるような関係というものが国民と国家の間にできないようになっていってしまうのではないでしょうか。

 

 京都に行って堀川通を通るごとにそのことを思い出さずにはいられません。

5月1日はメーデー

f:id:midori-yablog:20190430125626j:plain

 

 

明日5月1日は労働者の祭典メーデーです。

midori-yaでは花屋らしく赤バラを飾ってこの日を祝います。

 

新緑の頃、というのは本当に青春を実感できる季節ですよね。

京都の大学にいた頃、赤旗都大路を行くと「あぁ5月が来たなぁ。」と実感したものです。

爽やかでそれでいて暖かい空気が満ちていました。

 

いつかどこかで炎が燃え盛った。

それでなんとかここまで暖かい空気が続いてきたのでしょう。

巨大プラントオープンに思う

 

 

 

midori-yaのすぐ近くの安曇川町内に巨大スーパーセンタープラント高島店がオープンしました。高島の皆さんには大人気のようで連日にぎわっています。

特に驚いたのは高島市広報3月号において「にぎわいと商工業の活力に向けて」と題して福井市長のプラント絶賛評が出ていたことです。

駐車スペースに大屋根があり快適に買い物ができる。

市内外からも多くの人が集い地域の活性化につながる。

とよくぞプラント本社は滋賀県初出店を高島に選んでくださったとうやうやしく感謝されている印象を受けました。

 

エコの時代とか手作りの大切さとか一方で言われていますが、プラントはまさしく大量生産・大量流通・大量消費の象徴のような商業施設です。世の中はやっぱり今でもこういうものを目指しているんだなと改めて痛感させられました。
豊富な品揃え・一ヶ所で生活に必要なものすべてが揃ってしまうという一極集中の配給所のような体裁。
そして何よりこのプラントの核弾頭とも思えるのは豊富なバリエーションのお惣菜コーナーです。適価で美味しそうで品数豊富・・・
高島の主婦たちは皆、こぞって料理する意欲を失くしてしまうのではと心配に思えてなりません。
いわゆる共稼ぎ所帯や仕事を持っている女性にとっては逆に福音とも言えるプラントなのかもしれませんが・・・

 

私自身としては毎日の食事はすべて手作りすべきものだと思っていますし、それを実践しています。
それは経済性だけでなく食の安全を確認し、自らの家族が食するものを自らで用意するという基本的な動作は人間にとって不可欠だと思うからです。

しかし今日、事実これが困難なご家庭はとても多いと思うのです。近頃男女の役割分化を強調し、男は仕事女は家事というスタイルの復古を推奨し、そうすれば世の中が健やかに、エコになるのではないかといった精神論者的な主張が見受けられます。しかしながらよく考えてみると昭和世代とは経済成長を旨として大量生産・大量消費・大量廃棄を標榜し、大きな負の遺産を今に残しているわけですが、その昭和世代のご家庭とは典型的な男女分業型専業主婦ファミリーなのです。
男女の役割感を強調し、性的属性による分化を基調とした価値変革を再来させてもそれが社会の健やかさやエコ化を生むとは到底思えません。
専業主婦が暇に明かし毎日プラントへ日参し、大量購買・大量消費・大量廃棄している様を考えればすぐわかることです。

 

必要なのは伝統文化とか大和精神の回帰ということなどではなく、丁寧に日々を暮らし無駄な消費を行わないという倹約と堅実の精神なのです。これは世界中どこの国の人でも持っている人は持っているものなのです。
イギリス人の多くが伝統的に持っているものですし、キューバの人たちも「一枚のシャツを毎日きれいに洗って着る」という言葉で象徴されるように実践している精神です。民族性とは無縁なのです。

 

そもそも今の社会で多くの勤労世帯が苦しい生活を強いられる結果として堅実・倹約を実行できず、スーパーのお惣菜を毎日買って帰り夕食の糧とせねばならないのは、一重に労働環境の過酷化・雇用の不安定化、そしてそれを阻止・改善するための連帯や団結ができない風土がこの社会に蔓延しているからなのです。
個人貯蓄がなくなり、企業内留保がこの十年間で増えたと言われています。まさにここが問題なのです。
「戦後最大の好景気」「人手不足」なのになぜ個々の労働者の地位は向上しないのかおかしいではないですか。問題はここなのです。

文明の西洋化や知性的傾向が問題なのではないのです。

 

懐古主義や「やまとごころ」の推奨を行ったところで何も暮らしは楽になりません。

幸せなど訪れません。むしろそれは今の社会のあり方・経済のあり方を肯定し、それをさらに進めようという人たちがスローガンとして掲げていることなのです。
その後押しをすることにしかならないのです。

 

必要なのは個々の人間を金もうけのネタにしようという現代の商業主義からしっかりと我が身をそして我が家族をプロテクトしようという意味での防衛戦としてのエコ精神なのです。
日本だけでなくどの世界でも家庭内分業して古来から生活してきたわけです。
男は力仕事、女は細かい手仕事。

これこそは共稼ぎの原点なのです。ここを誤解してはなりません。

共稼ぎが悪いのではないのです。パートとはそれが現代型に変貌しただけなのです。

大事なのは共稼ぎであろうが専業主婦家庭であろうが、各人がきちんとした理性的判断と知性を持って生活し、無駄なものそして有害なものを買わないというだけのことなのです。
そうして少しでも安価な労働力を提供してしまうこともないように心がけるだけのことなのです。

 

一人一人の毎日のほんのちょっとしたあきらめと割り切りが刹那的な安楽と利便性を求めてしまい、夕方にお惣菜を買いそれが集まってあの巨大プラントを支えていってしまうのでしょうから。

愛国心シリーズ第2回「甲子園と愛国心」

 

前回「あゆと愛国心」で自然や風土への「愛」がいわゆる「愛国心」の基礎になっているのではないかといったお話をしました。

今回は「甲子園と愛国心」ということで人間社会に踏み込んでみたお話になります。

 

「春はセンバツから」というメッセージがあるように春の選抜高校野球の出場校が発表される時期になりました。

センバツ」は春の歳時記のようでもありますが、やはり甲子園というと「夏の全国大会」がメインと言えるでしょう。

今更この場で私がどうこう言うまでもなく夏の甲子園高校野球の熱狂ぶり、人気ぶりは皆さんもよくご存じの通りだと思います。

この高校野球、言ってみれば高校生の野球の全国大会に過ぎないのですが他のスポーツとは違い熱狂的に郷土が団結して出場校の応援に駆け付けるといったことやその様子が大々的に全国的に各メディアで報じられて日本中が熱狂するといったことで随分他のスポーツの大会とは一線を画した特殊なものになっていると思います。

 

かつては地方から観光バスを数十台も連ねて兵庫へ向かうので大変な交通渋滞を起こして社会問題になったとか、応援に行った村には猫や犬しか残っていないので甲子園の留守村を専門に荒らす窃盗集団が全国に横行したとか、そんなことがあったほど甲子園への熱狂的な応援ぶりはすごいものだったのです。

今では少々熱も冷めてきたかもしれませんが、やはり似たような状況が程度の差こそあれ続いているのではないかと思います。

 

私も田舎移住を繰り返しているのでわかるのですが、いわゆる田舎の集落、村、部落というのは血縁・地縁を中心として強いつながりがあってまとまりを持っており、団結や一体感と言うのは相当なもので時には排他的なものもあると思います。

 

しかしこの甲子園というのは単に村ではなくてその地方や都道府県の一代表ということでいわゆる村単位というものを超越したもう少し大きなまとまりを象徴しているもののように思えてなりません。

言ってみたらそういう集落というものとは別のカテゴリーでの一つのまとまり。また、その集団への帰属感とか依存とか回帰とかいった感情がそこにあるからこそこれ程までに熱狂的な応援や甲子園ブームというものが日本で続いてきたのではないかと思います。また一方で甲子園にはそういった地域でのまとまりや一体感を作り出す魔力があるのかもしれません。

一体それはどういった感情でそこにある熱狂の正体とは何なのでしょうか?

 

愛国心」そのものではないかもしれませんが、この言ってみれば「郷土愛」というものが「愛国心」の基礎になっているのではということはよく言われることですし、「郷土愛」から「愛国心」への連続線というのはなかなか切りがたいものだという主張もあります。

 

先程言いましたようにいわゆる村社会が団結するのはよくわかりますが、高校野球に関して言うと都道府県単位で何となく自分の県の代表校を応援したくなるという心情は日本人が多かれ少なかれ持っている感情のようなのです。

 

私は京都人ですが、京都と言えば皆さんもご存知のように高校野球の伝統校、平安高校があります。今まで通算100勝の強豪で、かつて初めてバント戦法を行い相手チームを「あっ」と言わせたという逸話が残っています。さすがに伝統を大切にしながらもアバンギャルドなものを好む京都ならではの戦法だと思いますが、バントをくらわされた相手校は「卑怯千万」とうめいたそうです。

 

新聞にこういった試合そのものに関する記事やOBのお話、平安でしたら衣笠選手のインタビューなどが載っているのはわかるのですが、全く野球とは関係ないような選手の家族の話とか、応援団の苦労話とか言ってみれば故郷のお祭りに関する色々な記事のようなものが、高校野球については各新聞紙上やメディアで夏になるとあふれかえるのです。これはスポーツ報道というものではありません。

 

いわゆる地方の村社会ではありませんが、京都では平安高校が試合に出るごとに町中の色々なところのお店やお宅に行っても「平安出てるし、テレビ見とかなあかんで。」などと言ってテレビにかじりついていたり、夏タクシーに乗ると冷ややかなクーラーの効いた空気と同時に高校野球の中継がいつも流れていたりしたのが昔の私の思い出です。

 

これほどまでの特別な国民的な熱狂というのは一体どこから出てくるものなのでしょうか?

日本人はそれほどまでにあの「野球」というスポーツが好きなのでしょうか?

単に野球というものが好きなのならば技術的に高いプロ野球や大リーグを見ていればすむことなのです。むしろ技術的にレベルが稚拙な高校生の大会になぜこれほどまでに熱狂するのか?

世界ではこういった現象は一切ありません。

日本特有のものなのです。

こういうことが日本のスポーツの後進性を示しているのであって高校野球がある限り日本はスポーツ先進国にはなれないという主張がありますが、高校野球というのはスポーツそのものではない、少なくともスポーツだけのものではないと私は思っているのです。

 

かつてNHKのドラマで夏の甲子園を題材にしたものがありました。

故郷を離れて東京で会社勤めをしているとある青年が、都会の希薄な人間関係やぎすぎすした雰囲気に閉口して自分を失いかけていた時、故郷の母校が甲子園に出場することになりました。

 

彼は会社をしばらく休職して故郷に戻り母校の応援団を結成するための資金集めに奔走します。彼はその中でそれまでばらばらだった色々な昔の仲間たちや地元の人たちと交流し、人間の暖かみや信頼感を取り戻し、そして自信を深めて人生に再出発していくといった確かそんなストーリーだったように思います。

海外からも募金が寄せられたり、「お金は出せないけど野菜をいっぱいあげようか。」とか「応援団の旗をうちで作ってあげようか。」とか色々な人たちの協力ぶりがそこに描かれていました。

 

心暖まる郷土愛の人間ドラマのようでありますが、少しだけ変わった一節がそこにありました。

彼がその故郷出身の国際的な芸術家の事務所に出向いた時のことです。

その芸術家役の役者さんは誰だか忘れましたが、今で言うとちょっと小田切ジョー風の人だったと思います。その主人公が「母校の為に少しでも募金を賜れませんか。」と彼のアトリエを訪ねたところ、その芸術家は「そうですか。それは素晴らしいことですね。でも私が思うのは野球に打ち込んでやるのは結構なことですが、それは自分が野球をやりたいからやっているだけのことでしょう。それは大いに素晴らしいことだけどその為に他人が金を出さなければならないという理由はどこにあるのですか?」とまず、こうきたのです。

 

「故郷の代表ですから。何とかお願いします。ふるさとの代表チームですから。」と彼が言うと、その芸術家はすかさずこう切り返しました。

「それはわかるんだけれども。どうして、私が○○村の出身だからと言って、その村の代表チームにお金を出さなければいけないのか、どこに合理的な理由があるのか私はよくわからない。そこまでの一体感とか言ったものを私は持っていませんよ。もちろん故郷のことを悪くは思わないし、懐かしいとは思うけども。それで野球のチームにお金を出さないといけない必然性はどこにあるのですか?個人の自立というものを前提にして野球をやりたい人は野球をやる、他のスポーツをやりたい人は他のスポーツをやる、それでいいじゃないですか。どうして野球にだけお金を出すのですか?」ときたのです。

 

「甲子園に行かねばならないからです。お願いします。」主人公が言うと、

「そういう発想でいつまでもやっているから日本人と言うのは個人の自立ができないのですよ。各自が自分のやりたいことを思いっきりやるのはいいけれどもそれに周りが振り回されるとか、一体感とか、そういったことを押し付けてくるのはおかしいんじゃないかな。国際化の時代にもっと広い視野を持って、自主性とか個人のアイデンティティーとかそういったものを基本にして考えて・・・」と彼が言葉を続けようとしましたが主人公は、

「わかりました。どうもお邪魔して申し訳ありませんでした。失礼します。」と失望してその場を去って行ったのです。

その芸術家はそれでも尚、その持論を続けて一人でしゃべっている様子が滑稽に描かれていました。

 

間違いなくここでその芸術家は身勝手であまりに個人主義的で故郷のことを愛さない、郷土愛のない人間のように描かれていたのです。それに耐えながらも無礼なことをせず、帰ってきた彼が何と忍耐強く誠実な男であったかということがドラマの言いたかった点のようなのです。

 

ここに甲子園のスピリットが凝縮されているように私はそのドラマを見て感じました。

 

ふるさと、故郷、郷土。ほっとする言葉ですし、だれでも「藪入りするんや。」とか「田舎へ帰ってくる。」とか言って、夏になると故郷へ帰って都会の垢を落としてのんびりするというのはよくあることです。それは決して悪いことではないと思います。

少年時代に戻って川で遊んでみるとか、旧友と忌憚なくビールを飲んで何日か過ごすとか、とても素晴らしいことなのでしょう。そういう感情に私は何も異論はありません。

 

しかしその故郷とかふるさととかそういったものへの帰属感の強さ、そこに属しているその一員であるという意識の深さは人により様々であろうと思います。ずっと地元で役場に勤めている人、近郊まで通勤している人、はるか離れた大阪や東京に出て所帯を持ち仕事をしている人、他の県へ嫁いだ人、また海外で事業をしている人、色々な条件によって様々であろうと思います。

「それはわかる。それでもみんな〇〇の出身なんやから一つなんや。みんな同じなんや。」と言ってくくろうとする考え方はあります。そしてそういったまとまりと言うものを基にして一定の行為や負担を個人に要求する考え方もあります。

 

先ほどの甲子園への応援など、まさにその一つなのです。

単に故郷へ戻って旧友と楽しい時間を過ごすなら何も問題はないのですが、こういった故郷への貢献を要求するということになってくると少々話は複雑です。

またそういったことを基に一定の寄与・貢献といったものをしない人を「郷土愛のない人」と言うようになると尚更話は複雑です。

これは間違いなく前回述べた美しい自然そのものに対する純粋な愛、それを伝えていこうという決意などとはまた異質のものです。郷土の山河を思い、山河そのものを愛する気持ちといったものとは別のものなのです。この辺りは誤解してはなりません。

 

帰属対象としての集団が本来的にはあまり実質的な存在やカテゴリーとしての独自性を有していなくともその単位としての集団が帰属者に対して一定の要求(貢献・寄与・忠誠)を行い、その結果その構成員の中で要求に応じたものと応じないものがあると仮定してください。

この場合、その要求に応えることが一定以上の負担や苦痛を伴う場合、要求に応じた構成者の間には消極的価値の共有が生まれそれによって連帯感が生まれると同時に帰属対象としての本来、原初的内実のない存在に積極的実質的価値が充当されてしまうものなのです。

それと同時に非応答者に対する非難と攻撃性が生じるものなのです。

 

わかりやすい例をあげてみましょう。

ある村で新年の祭事に備え年末に氏神の境内掃除をすることになったとしましょう。

大して汚れてもいないし、別にやらなくてもいいのではと皆感じていました。

婦人会の全員が「やりたくないな。」と心の中では。

でも「年末やし。氏神さんの掃除せなあかんのう。」と言う村の長老の何気ない一言に誰も異を唱えることはできず、寒風吹きすさぶ中10人のメンバーのうち8人が出て掃除を行いました。

案の定、寒さがとてもこたえ数人が体調を崩しました。

「大変だったわねー。でもやっぱり氏神さん掃除できてすっきりしたし。」

「これだけきちんと掃除してる村はそうないで。うちはやっぱり大したもんや。」

「そうや。うちは律儀な村やもん。よそとちごうて。」

みんなでおつかれ会をして、苦労話で盛り上がったのです。

「ところでAさん、来なかったわね。」「あっこは姑さん具合わるうて診療所連れてかなあかんって言ってたし。」

「でもそんなん言うたらうちかって、息子インフルで寝てたのに私出たんよ。」

「まぁ、Aさんはわかるとして去年都会から引っ越してきたBさん、お花のレッスンがあるとか言うて休まはったわね。」

 

これからどんな恐ろしいことが起こるのでしょうか・・・

(そもそも「今年はゴミ一つないしやめといてもいいですか。」とかの長老に一言言えば案外やらなくてよかったかもしれないのですが・・・)

 

帰属集団に対して構成員が自発的に自由に何かを行うなら何も問題はないのです。

しかし、集団の方から一定の行為を義務化して要求すると必ずこのような事態が生じるのです。

 

私自身、果たして「愛郷心」とか「郷土愛」とか「ふるさとへの愛」と言ったものがあるのでしょうか。

私は京都生まれの京都育ちです。

今、隣県の西近江の高島というところに住んでいます。

仕事で京都に出向くたび、大原を過ぎて京都の街並みに入りまた鴨川の様子などを見ていると「ああやっぱり京都だな。」とほっとすることはありますし、何かにつけ端正に・丁寧に行うところ、また野球に限らず伝統を大事にしながらも新進気鋭の気風を持っているところ、いわゆるつくられた自然の美しさ、それをきちっと保ってきた気概、何かにつけホンモノを見極める目など、やっぱり京都は素晴らしいなと思うことがあります。

 

しかしながら反面、行儀がましいことを小うるさく言ってみたり、プライドが高そうに見えて金儲けの為なら卑屈なまでにいろいろなことをするような割り切ったところ、「お金に関心などないのですよ。」というふりをしながら裏では大阪人以上にシビアにがめついところ、また俗に言われているような京都人独特の本心を見せない陰険さなど、言ってみれば嫌いなところはいくつもあります。

私自身、物事を客観的に見る方で故郷である京都についてもとてもいいなと思う点と嫌だなと思う点をはっきりと見極めています。

「京都だからまるごと好き」という心情は持てないタイプなのです。

ですから京都の町中に住むのではなく、ちょっと京都から離れたところに住みながら京都のいいところだけをつまみ食いするようなライフスタイルをとっています。京都の郊外の一番端っこにいるつもりです。私は今それがとても気に入っています。

 

でもいわゆる「郷土愛」というものを旨とする人たちからすれば「それは郷土愛ではないよ。まるごと愛してこそ郷土への愛だ。愛郷心だ。あなたは愛郷心のない人だ。」と言われるのかもしれません。確かにそうなのかもしれません。

 

物を愛する・人を愛するというのはそういったことかもしれないのです。

何もかもひっくるめて丸ごと愛する、受け入れるということ、自分のものにするということ。それが愛郷心なのかもしれません。

ちょっと私はそういったものには抵抗があります。

皆さんはいかがですか?

もしこういった「愛郷心」「郷土愛」といったものの延長上に「愛国心」があるとすればやはりまるごと受け入れるべきだという論法になるのでしょうか?

その道のりというのは非常に複雑ですし、よくわからないものです。

またこれから色々な角度からそういったことも考えていきたいなと思います。

 

今回は「甲子園と愛国心」、郷土愛というものについて少し考えてみました。

 

P.S.

最近私はとても不気味なことに気が付きました。

あの甲子園の主題歌の「ああ、栄冠は君に輝く」というのがありますね。

「雲は湧き、光あふれて天高く、純白の球今日ぞ飛ぶ・・・」というあの曲です。皆さんよくご存じでしょう。

もう一つ、とても有名な軍歌で「ラバウル海軍航空隊」というのがあります。

「銀翼連ねて南の前線、揺るがん守りの海鷲たちが・・・」というものです。

最近ネットで簡単に音楽が聴けるらしいですから一度是非2曲聴き比べてみてください。

メロディが全くそっくりなのです。

とても不気味な感じがしました。