主権者としての東京五輪「NO!」

今私たちは大きな嵐の中にいる。
コロナでも入院できず亡くなっていく人たち。
急患で救急車で搬送されて行っても病院の前で「順番まち」の人たち。

それが現実。それがこの国。なのにオリンピック?
全国から医者も看護士も容赦なく引き抜いて。小学生も動員して。
一円の給付も国民にはもう来ない。
なのに莫大な額の開催経費。

人は言う。
「今の政治は、私たちの命を守ってくれない。」
無策、無能なんかじゃないと思う。大切なものが他にあるのだろう。
「人の命は何より大切」
小学校でそう習ってきた。
でも今のこの国を動かしている人たちにとってはそうではない。
そしてそんな国に対して直言してこなかったのは、そして今もしていないのは私たち日本人。

東京オリンピック」という「興行ごと」をとにかく「こなす」ことが好都合でもうかる組織や人たち。
はっきり私たちが「NO」と言う以外に私たちの命を守る途などない。
いくら「自粛」と言われても「でもオリンピックはやるんでしょ?」そんな声が巷にあふれている。


無責任な政府とだらしなくあきらめた国民。
最悪のコンビネーションで向かう先は地獄に違いない。

今こそはっきり言おう。
東京五輪「中止」と。
私たち一人ひとりの命とそして誇りを守るために。
そして私たち国民は政府の単なるリソースなどではなくこの国の主権者なのだということを示す第一歩として。

くたばれIOC!

先日、IOCは各国の記者を集めプレスリリースを行って「オリンピックは必ずやるものだ。東京五輪の中止はありえない。もし実施に当たって感染拡大し世界中の選手や一般人に被害が発生してもIOCには一切責任はない。責任をとるのは日本政府そして都庁だ。オリンピックはやるものだ。」と怪気炎をぶちかましたそうだ。よりによって開催国の我が国の代表者や記者は呼ばずにだ!!

馬鹿にするなと言いたい。

 

一体オリンピックって何なんだ?何の為にやるんだ?これじゃまるで地球規模の巨大な「田舎の氏神様祭り」だ。
「いくらお前とこの家に病人が出て死にそうやって言っても祭りの役だけは欠かしてもらえんぞ。わかってるな!」と狂った村のじじいがシャウトしているようなものだ。

 

世界の人々が政治や国家対立の壁を越えて楽しく交流し、すがすがしくスポーツを満喫し平和を実感し、未来への糧とするのがオリンピックではないのか?

本当のオリンピック愛好者なら、本当のスポーツ好きなら、この状況下での東京五輪は「中止」と叫ぶのが当たり前だ。

IOC?何様のつもりだ!貴族的権威主義の白人的上から目線集団の巨大な利権(TV放映収入など)の為に日本人が殺される筋合いなどない!我々には自己決定権があるはずだ。

我々のコロナの不安な実情を訴え、選手を守る為にも、又人々の為にも今回の東京五輪の中止を切に嘆願した山口香氏(JOC委員)の発言についてどう思うかという質問に対してIOCの重責者の1人は「おもしろい意見だね!」と一笑に付したそうだ!日本人を犬かブタだと思っているのか?と言いたい。本当に腹が立つ。どついたろか。

かの「サマランチ体質」以来、IOCのスポーツ精神からかけはなれた利権集団ぶりは従来から批判されてきたことだ。でもこんなにますますひどくなっているとは、初めて実感した。

はっきりと「やりません!」と声を上げることだ。(小声で「出来なさそうです・・・」ではなくて)それこそが今、世界に日本人の誇りを示す何よりの手段だ。

はっきり言おう。東京五輪は「中止」あるのみ。

P.S. まあIOCがどうとかこうとか言うまでもなく、このコロナ第4波の恐ろしさを実感するにつけ、答えは決まっているのだけど。あとはいつ誰が言いだすかだけなのだろうと思うけど・・・。

 

 

やめるまで言おう「東京五輪は中止!」と。

英紙タイムズをはじめ諸外国から東京五輪は中止すべきとの声があがりはじめている。
でも本当に決断し、声を出さねばならないのは他でもない我々だ。
「まず〇〇ありき」という呪いを棄て
ほんの少し冷静に考えてみれば誰でもわかるはずだ。
この夏に全世界から何万人もの選手や人々をあの東京へ密集させるのが、
日本にとってそして全世界にとってまともな所業と言えるわけがないことを。

もう一度「東京五輪は中止しよう」と言おう。
中止になるまで何度でも。


「女性蔑視発言」で揺れた森辞任。川渕、又辞退。

=「国民」=「主権者」不在の五輪の惰性暴走を今こそ止めよう!
     私たちの命と暮らしを守るために。=

森発言は種々の問題が満載していたとは思うが、私が一番「キモ」だと思うのは、「女性は話が長いので云々」よりもむしろ、
「問題は世論」の一言だ。

 

国民の大多数が、どう思っているかは彼にとっては単に阻害要因の1つだ。
一体、誰の為の五輪?

金まみれの招致に始まって幾多のドサクサさわぎ。今更何のつもりか?
彼の一言は、極めて反民主的な国民不在の政治観の意図せぬ漏れ出しだ。

「ゼネコン」「電通」「アメリカメディアの放映権」・・・
巨大などす黒い氷山の上に鎮座させられていた珍妙なこわれかけのパペット。それが森だった。

先の見えないコロナ禍。今、少々「数字」だけ下火になっていても安心の種など一つもない。(事実、初夏の頃には又、大きなピークとなるという専門家の指摘もある。)ただでも逼迫している医療の現場。疲弊し切っている医療従事者。物的、それよりも人的リゾースの不足・・・。

それなのに、五輪期間中にはなんと東京へ全国から1万人以上もの医師を招集すべしと言うのだ!
「徴兵」されたあとの各地は一体どうしろと言うのだろう?
国民の生命が一番大切なんてこれっぽっちも思っていない人々が、五輪の強行を唱えている。
猪瀬元都知事は、皆、気分で「イヤ」と言っているだけと言う。国民をバカにするなと言いたい。我々はほんの少し冷静に客観的に考えて、どうすべきか判っているだけだ。

「これはまずいな!」「大変なことになる!」と誰もが心の中では思っているのに、誰も堂々と言いださないこの国。国民。
それ故に「そんなバカなことが!」と思う事が、ヌケヌケと始まってしまったのがこの国の歴史の数々だ。

今を生きる者の責任として「NO」とはっきり言おう。
未来の為にも。
「一度、決めたことは止められない。」なんという愚劣な一言か。
誰かものたまったように「人類がコロナに打ち克った暁に、その証として」オリンピックをやればよい。今はまだその時でないのは明らかだ。
未来に必ずや光は差す。
薫風は吹く。
子らに夢を託せばよいではないか?
今、無様な「自滅ショー」をやらなくとも。
島根県知事の直言を心から讃えたい。

はっきり言おう。
「延期」でも「無観客」でもない、中止しかないと。


先月の地震福島第一原発の原子炉には重大な損傷が生じたようだ。
いくら窒素を注入しても炉内の圧が大気と同じにしかならない。
そして水位は毎日じりじりと下がっている。
このままでは近い将来、10年前のような水素爆発が起こる可能性も高い。(NHKが一度報じただけで大手メディアは申し合わせたように口をつぐんでいるが)
これが五輪招致の根拠となった「アンダーコントロール」の現状だ。

みんなでやめよう自滅五輪
みんなでとめよう暴走五輪

東京五輪は中止しよう


「女性蔑視発言」で揺れた森辞任。川渕、又辞退。

=「国民」=「主権者」不在の五輪の惰性暴走を今こそ止めよう!
     私たちの命と暮らしを守るために。=

森発言は種々の問題が満載していたとは思うが、私が一番「キモ」だと思うのは、「女性は話が長いので云々」よりもむしろ、
「問題は世論」の一言だ。

 

国民の大多数が、どう思っているかは彼にとっては単に阻害要因の1つだ。
一体、誰の為の五輪?

金まみれの招致に始まって幾多のドサクサさわぎ。今更何のつもりか?
彼の一言は、極めて反民主的な国民不在の政治観の意図せぬ漏れ出しだ。

「ゼネコン」「電通」「アメリカメディアの放映権」・・・
巨大などす黒い氷山の上に鎮座させられていた珍妙なこわれかけのパペット。それが森だった。

先の見えないコロナ禍。今、少々「数字」だけ下火になっていても安心の種など一つもない。(事実、初夏の頃には又、大きなピークとなるという専門家の指摘もある。)ただでも逼迫している医療の現場。疲弊し切っている医療従事者。物的、それよりも人的リゾースの不足・・・。

それなのに、五輪期間中にはなんと東京へ全国から1万人以上もの医師を招集すべしと言うのだ!
「徴兵」されたあとの各地は一体どうしろと言うのだろう?
国民の生命が一番大切なんてこれっぽっちも思っていない人々が、五輪の強行を唱えている。
猪瀬元都知事は、皆、気分で「イヤ」と言っているだけと言う。国民をバカにするなと言いたい。我々はほんの少し冷静に客観的に考えて、どうすべきか判っているだけだ。

「これはまずいな!」「大変なことになる!」と誰もが心の中では思っているのに、誰も堂々と言いださないこの国。国民。
それ故に「そんなバカなことが!」と思う事が、ヌケヌケと始まってしまったのがこの国の歴史の数々だ。

今を生きる者の責任として「NO」とはっきり言おう。
未来の為にも。
「一度、決めたことは止められない。」なんという愚劣な一言か。
誰かものたまったように「人類がコロナに打ち克った暁に、その証として」オリンピックをやればよい。今はまだその時でないのは明らかだ。
未来に必ずや光は差す。
薫風は吹く。
子らに夢を託せばよいではないか?
今、無様な「自滅ショー」をやらなくとも。
島根県知事の直言を心から讃えたい。

はっきり言おう。
「延期」でも「無観客」でもない、中止しかないと。

東京五輪

みずみずしい空気。胸一杯の呼吸。
それがスポーツ。
 
不安と危険の渦の中。人々と選手たち。
老人が虚ろに強行を叫ぶ。
一体何の為?誰の為?
本当はもう判っている。
 
私たちの今ある命。今ある暮らし。
未来へのほんの少しの安心とささやかな夢。
やっぱり奪われたくはない。
 
はっきりと言いたい。
東京五輪は絶対に「中止」!と。

判らないのなら何回でも言おう。
「絶対、中止」!と。

 

キャンドルに出会った 2月1日

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コロナ禍の下、未来への不安もあり鬱々とした日々を送っている人は多いと思います。
春も近いはずなのに。

そんな中、先日近くのとある小さな本屋さんで素晴らしい一冊の本に出会いました。(写真集「キャンドル革命」キム・イェスル著 コモンズ社刊)
何ページか開いてみて「もうこれは即買い!」だと思いました。
3400円の定価がすごく安く思え、すぐ買いました。
2016年のキャンドル革命のことは以前から一応知っていましたが、この写真集を開いて韓国の人々の不正を許さず正義を求める心、自分たちの手で自分たちの国をつくるのだという主権者意識、それらが本当に心地よいまでにさわやかにそして力強く熱く伝わってきました。
勇気をもらえたと同時に自分たちが恥ずかしく思えてなりません。

でも今日21日は、かの2.1ゼネスト1947年に決行されるはずだった日です。
キャンドル革命の230万人をはるかに凌ぐ600万人のこの国中の労働者が団結し、新しい時代を拓くための闘いが始まるはずでした。しかしマッカーサーの「中止」の一言で日本人は一歩も踏み出すことがありませんでした。
我々は形だけ近代を歩いてきました。でも市民でもなくただの庶民、いや領民のままです。
21世紀になっても。

「誰がこの国の主人公なのか」
「主権は誰から生じているのか」
「誰のための政府なのか」

74
年前の今日、日本人はとてつもなく大きなものを失ってしまったのです。
ソウルの光化門にきらめいた何百万本ものキャンドル。
我々はまだ一本のキャンドルにも火を灯せずにいるのです。

“I’m politician”?

政治にもいろいろある。

・頼りない政治   ― 助ければいい。

・偏った政治    ― バランスをとればいい。

・弱い政治     ― 活力を与えればいい。

・いいかげんな政治 ― きびしく追及し、正せばいい。

・もうどうしようもない政治 ― ただちに交代していただけばいい。

 

でもこれらは、全て「政治家」と言える人が政権を担当している場合のこと。

もしタダの悪党だとしたらどうだろう?

悪党は、

1. 自分が悪いと思っていない。

2. 自分の為なら人の迷惑を気にしない。

3. そして人が死のうが気にしない。

4. いくら不正を指摘してもこたえない。直す気はない。

5. そして絶対に自ら退くことはない。(ここが一番のポイントだ。)

 

・・・つまり、批判、非難、責任追及など一切通用しない。

では、どうすればよいのか?

ウルトラマンでも仮面ライダーでも桃太郎侍でも、皆やることは同じだ。

「暴力」で打倒する以外に方法はない。悲しいかなこれは真実だ。

私たちの国政を担当するのが政治家でありますように。

 

statesman:政治家

politician政治屋