これからこの国はどんな風になっていくのか?
どんな国家体制になっていくのか?
どんな政治になっていくのか?
とても不安だなと言う人もいます。考えてみなければなりません。
歴史の先例というものから学んで予測しなければならないと最近思うのです。
一体、安倍政権というのはこれからどんな風になっていくのか、果たして何を目指しているのか、前回も言ったように日本人は一体何を望んでしまっているのか、考えると暗たんたる気持ちになることもありますが歴史を少し考えてみると素人ながらに思い当たる節がいくつかあります。
それはアジアの三人の政治家です。
一人は朴軍事政権の朴(パク・チョンヒ)大統領。大疑獄事件で少し前に逮捕されたパク・クネ大統領の父親です。
もう一人はフィリピンのマルコス大統領。
朴大統領については軍事政権と言われたぐらいで軍隊の存在を前面に押し出して強権的な独裁的政治を行い、民主化のリーダーと言われた政敵であった金大中氏を秘密警察(KCIA)を使って日本から拉致・連行、監禁し世界中を震え上がらせました。
フィリピンのマルコス大統領と言えば戒厳令を布告し、20年近くの間強権的な政権運営を行うとともに「クローニー(縁故・取り巻き)資本主義」を実践し、利権の独占化を進めました。マラカニアン王宮はまさしく彼の宮殿とも言うべきで何千足も靴を持っていたという妻のイメルダが有名なことからもわかるように公私混同な国家費用を私財に投じ、贅沢三昧をしていたような王政ぶり。
インドネシアのスハルト大統領は極めて親日家であり、今でも熟年層は良い印象を持っている人が多いと思います。しかし内面の顔は全く裏腹で数十万人から百万人とも言われる反政府主義者を次々と処刑し、「ソロ川の水が日々赤く染まった。」と言われていたことは有名です。また東チモールに対する血みどろの抑圧、その末での東チモールの独立ということがあったのは世界中で知られていることです。大変な強圧家だったわけです。(日本ではこういった彼の素顔はほとんど知られていません。共産主義政権であったカンボジアのポル・ポトの虐殺が映画「キリング・フィールド」などとともに強くプロパガンダされて多くの日本人に印象づけられているのとあまりに対照的です。)
安倍政権を今、考えてみると前回も述べたように極めて情報操作というものに対して熱心であり、反政府的・反政権的な言論というものを共謀罪の新設など様々な手法で抑圧しよう、監視しようとしていること、また過去最大と言われている防衛費というものを計上し自衛隊を前面に押し出していこうという傾向、これはまさしく朴氏に類似しています。
また乱痴気騒ぎで有名な昭恵夫人の行状、国費で賄われている女性秘書を何人も使って豪遊しているなどといったこと。マルコスを思い起こさせます。
また強権的な手法で沖縄に対して抑圧的な政策を行っていることもスハルトまがいと言えます。
京産大をコケにして友人の経営する加計学園に特に恩典的な獣医学部開設を認可するなど「クローニー姿勢」が強くにじみ出ているのも上記の三人と共通しています。
こういったことから考えると、朴・マルコス・スハルト路線というものが浮かび上がってくるわけです。どうも長期安定政権で栄誉・栄華を極めた彼らに安倍氏は憧れているのではないかと思われるのです。この三人はいわゆる議会制民主主義というものを堅持し、「うちは民主主義国家である。」「自由主義国家である。」と標ぼうしてきたのです。
だから決して中華人民共和国や北朝鮮のような「独裁国」ではなく「民主主義国家」の代表なのだと世界に対して言ってきたのですが、内政の実情は先ほど記した通りです。
しかし彼らと安倍氏が決定的に違うところがあります。
それは安倍氏は総理大臣であり、彼らは大統領であったということです。
安倍氏は間違いなく「大統領」になりたいのだと思うのです。
そのために内閣府を大統領府のような機能を持たせて肥大化させてきているではありませんか。
彼が目指しているのは間違いなく実質的な大統領制だと思うのです。
そのことによる権力集中と独裁化だと思われるのです。
その上で大きな一つのネックがあります。
それは何かと言うと、「大統領制」と「王制」は両立しないということです。
これは世界史における絶対的な原則なのです。
総理大臣と言うのは「王様」「大君」に使える臣下の中のヘッド・リーダーという意味。だから「総理大臣」なのです。大臣の中のリーダーに過ぎないのです。
ということになると大統領になるために日本では大変厄介なたんこぶがあります。
「天皇制」というものです。
「天皇制」があるからこそ日本は「立憲君主国」であるし「立憲議会制民主国」なのです。
しかし「天皇」という例え象徴的であれ「国王」がいる限り、決して「大統領」というものが生まれることはできないのです。
そこが彼のジレンマなのです。
だから彼は近年皆さんもご存知のように大変、皇室というものに対して冷淡です。
そして今の安倍氏の臣下である宮内庁もまた皇室にお仕えする身でありながら皇族方に対して大変ご無礼なことを次々と行っているのです。
「ははぁ。そうか。」と合点がいくところです。
彼はとにかく「天皇」の存在というものが厄介で仕方ないのです。
「大統領制」にするためには「王制」というものは絶対に廃止しなければならないのです。
彼の大きなジレンマなのです。
皇室の方々もそのことをわかっているからこそ最近彼の行き過ぎたやり方に対して秋篠宮様が「国費で大きな支出を行って大嘗祭を行うのはいかがなものか。」と苦言を呈されて、「宮内庁聞く耳持たず残念。」と言った発言をされたり、また「平成天皇」も最後の記者会見に於て直接的に批判的なことは仰いませんでしたが、「沖縄の人たちの苦しみを決して忘れてはならぬ。」と言った辺野古をけん制するようなご発言や以前にも「朝鮮半島の問題については一回謝ったから済む問題ではない。」と言った趣旨のことを発言されたり、今の政権の強権的な政策に対してそれを諫めるようなお言葉を繰り返しておられます。
こういったことが安倍氏にとってみると厄介でうっとうしくて仕方ないのでしょう。
だから「天皇はただ祈っていればいい。」などという旨の発言をしたり、また彼の臣下のスピーカーとも言えるようなネトウヨは「皇后は反日だね。」などという意味不明なことを吹聴したりしているのです。
誠に困ったことです。
日本は果たして「大統領制」になるのでしょうか?
かの三人のアジアの先輩大統領達が極端なまでに親米派だったことも安倍氏と共通していますし、長期政権において強大な利権の固定化、既得権化というものが進んでその中で腐敗が進むことも共通していくのかもしれません。
そうなればとても困った事態です。安倍二十年政権???
上記の三つのアジアの国では人々は強権的な政権を倒し、民主政治を実現するために多くの犠牲を払い血を流したのです。それでも勇敢に戦い、自由を勝ち取ったのです。
その時にそんな勇気と力を日本人はこの国民は持てるのかどうか極めて不安に思えてなりません。
いったんそういった仕組みができてしまうと打破するのはとても困難なことです。
今からよく考えて我々は手を打っていかなければならないのです。
2018年12月