愛国心って何?(序章)

 

毎回いろいろな話題について皆さんと一緒に考えてみようというこの社会派ブログですが、これからしばらくは「愛国心」というものについて一緒に考えてみればと思っています。

 

愛国心」というのは日常的にあまり頻繁に使う言葉ではありませんが、折にふれ耳にする言葉です。近頃では学校の教科の中で道徳を教科化し評価するとか、その中で「愛国心を教えるとか、高校生の倫社政経の教科をなくして代わりに道徳の教科を設け、そこで「愛国心」教育を推進すべきだとかいろいろな教育界での議論がなされています。

 

「あの人は愛国心が強い。」とか、「この人は愛国心がない、良くない人だ。」とか、また「愛国心は強制するものではない。」とか、「いや。愛国心を持つように要求した方がいい。」とか、いろいろな議論がなされています。

果たして「愛国心」を要求した方がいいのかどうか、また「愛国心」教育をした方がいいのかといった議論はとても難しいことですが、私が強く感じるのはそういったことを議論する前にまず「愛国心」というものが一体何なのか、よくつかめていない人が多いのではないかということです。その上でなぜか「愛国心」という言葉だけが一人歩きしたり、その正体がよくわからないのにそれが「いい」とか「悪い」とか論じていることがよくあるのではないかと思います。

 

私自身も思想研究の専門家ではありませんし、よくわからないことばかりです。

これから何回かに分けて私たちの回りで「愛国心」という言葉が問題になったり、また関連していると思われる事柄についていろいろな切り口から「愛国心」とは一体何なのかということを皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

決して結論が出る問題ではないという気もしますが、まず「愛国心」というものが何かということを考えてみないとそれを要求すべきかどうかといったことも全く議論が成り立たないわけです。

難しい問題ですが、あまり堅苦しくならないように身近な話題や誰でもわかるような話題について私も素人ですから素人的な言葉で共に考えてみたいと思います。

またしばらくおつきあい下さい。