「五輪の為に犠牲を!」だと?

「ぼったくり男爵」よ、とんだ勘違いと言うものだ。

人類がその明るい未来を実感し、国境を越えて政治の壁も超えてすがすがしく調和できる状態の下でオリンピックとはやるべきものだ。そして人間としての肉体の健全さと可能性を人々が実感できるようにするものだと思う。

今、この苦しい状況下で世界中の人々が無理をして不全な形での五輪を強行することはむしろオリンピックの精神に反するのではないか?
いくらきれいごとを並べても奴の本音は判っている。米国のTV放映権収入がフイになると困る。ただそれだけだ。その時には日本から「ぼったくろう」と。

芸術も音楽も教育も学問も全てが忍耐を受け入れているこの世界の中で、何故オリンピックだけが「OK」どころか「MUST!」なのか?全く賛同できる根拠は見当たらない。一体、五輪って宗教なのか?殉教しろってか?

どうしてあんなにバッハは強行にこだわるのか?もし中止なら余程彼自身に困ったことが起きるのだろうか?そうなのかも知れない?
例えば、TV放映の収入を「当てこんで」既に大手の投機組織と契約して巨額の先物相場取引か何かで大儲けを企てているとか・・・
もし、五輪中止になってその投機入金が出来なくなったらその業者から「不履行」として訴えられ『こと』が公になるとか・・・。
そしてその投機話というのはIOCとしてではなくて、バッハやその一味が「公金」を流用して大もうけしようと企んでいるとか・・・

そんな憶測までが心の中に込み上げてくるほどだ。よくある話だ。その手の大組織には。「神々しそうな」お偉い方面ほどありえることだ。古今東西

私たち日本人がそんなものの「犠牲」になどなる必要は毛頭ない。
「中止」だ。政府よ、「中止」を今すぐ決定せよ。