8.7 高島自衛隊フェスタに思う

 明日87日、ここ高島市で「自衛隊フェスタ」なる軍事式典が開催される。なんと、市が多額の費用負担を行って主催するのだ。この地に在る「饗庭野演習場」は、帝国陸軍時代からの伝統があり、地元には自衛隊関連産業も少なくない。隊員の家族も多い。一様に自衛隊に対しては、親和的な地元民が多い。行政も極めて自衛隊に対して協力的で18歳名簿をわざわざシール化までして自衛隊へ差し出したり、戦車隊の縮小が取り沙汰された折には市長が昔ならいわゆる師団長→参謀本部→陸軍副大臣まで次々と素晴らしいフットワークで訪問して「戦車さん出て行かないで」と陳情。高島は、ある意味沖縄以上に「基地の町」だ。そんな土地柄で、かの行事が挙行されるのはある意味極めて自然体なのかも知れない。

 地元のスーパーで夕方に食品を大量に買う制服姿の陸自隊員やコンビニで夏、アイスキャンデーを食べながら笑顔で花火を買っている若い自衛官たち。ピカピカに洗車されたオートマの軍用車。クーラー付き。私が「オートマって戦場でスタックしたらヤバイんとちがうか?これ。」って聞いたら、「いや。僕ら、動けんくなったら引っ張って出してもらうことしか考えてませんよ。」って明るく答えてくれた。血みどろの戦場とは、全く無縁な、だけどちょっとだけ硬派なカッコ系の若き公務員さんたちの姿を私も高島に移住してから見てきた。

 憲法9条。かつて、「戦後」という言葉がそのままあてはまった昭和の一時、当時の首相(確か池田勇人だったか?)が防衛大の卒業式で学生たちに「君たちは、これからいろいろな場で肩身の狭い思いをすることがあるかも知れない。けれど、それはこの国が平和だということの証なのだ。そのことを心に刻んで日々の仕事に取り組んで欲しい。」旨、挨拶した。

 今、どうだろう。この湖西の地で。肩身の狭い隊員はおそらく一人もいないだろう。明日には、晴れの舞台も待っている。この国の人々は、そしてこの高島の人たちは自衛隊とは軍隊である以上、一体どこの国と戦争をすると考えているのだろうか?いわゆる「領土」の防衛の方法はいろいろあると思う。自国の軍隊で守る・保安力のみで守る・同盟国または「本国」の軍隊に守ってもらう・・・9条のような宣言をして捨て身で行く・・・いろいろだ。9条で完璧に国の平和が守れるか?正直、私は「判らない。」

 ウクライナ戦争を契機に9条反対論が高まった。やはり国防のための軍備は必須だと。「きれいごと」のメッセージは、平和ボケたちのたわ言だと。そうかも知れない。でもかのヨーロッパロシア地域での近世稀に見る大戦争から1つはっきりしているのは、いくらウクライナのように国防の軍備を強力に備え、民兵組織まで整備し、国民に国防の士気も高くとも、戦争になってしまうような関係が他国との間に生じてしまえば必ず戦争になってしまうということだ。軍事力では、国は守れないということだ。国土が戦場となり、山河も荒れ、産業も人々の暮らしも破壊され、罪もない多くの人々が毎日何百人と死んで行く・・・。軍事的には、むしろ弱小な国の方から戦いをしかけて来ている例も世界には多い。どうやればこの東洋の島国の平和を守れるのか、一筋縄では行かないと思う。軍備だけでも9条だけでもなく・・・。

 当たり前だけど、一番大切で前提的なのはアジアの近隣の諸国との対話的な積極的な外交交流努力だろう。公私を問わず。そうして「戦争なんかありえない。」という当然のようなムードをアジアの中で作り上げていく地道な外交努力、又、民間での努力だろう。「月並みなことを言うなあ。」と思われるか?って・・・。月並みではないと思う。今のこの国では。むしろ逆のこと。つまりアジアの隣国との緊張を助長する言説やトゲトゲしいことをすることが愛国的な美徳なことのように感じられる危うさがある。こういうことを積み重ねると、ホンの小さな「事故」のようなトラブルが、もし良好なムードの国同志なら笑い事で済むようなささいな出来事が、戦争の直接の引き金になるものだ。歴史を見ればそれは一目瞭然だ。今、私たちはそんなことを本当によく考えて、ブルーとイエローの2色旗ばかり振っているのではなく、むしろアジアのお隣さん、その又お隣さん方たちとの「むつみ」を築かねばならないと思う。

 そう考えると、明日の軍事式典はいかがなものなのであろうか?「先制的自衛」の為の「敵地攻撃」と言う考え方が近頃、随分もてはやされている。特に政府の中心人物や国民民主党のお偉方たちの間で。日本人は、昔から先制攻撃好き、奇襲攻撃好きだ。桶狭間川中島鵯越も、又、当然かの真珠湾も、全て先制奇襲攻撃だ。むしろそれを「ひきょう」ではなく、「痛快至極」と考えている。でも今のこのご時世「先制」でミサイル?とかやっても一発で敵国全土が灰になるような人類破滅的な核攻撃でもない限りは必ず強烈な反撃が「敵国」とやらから来るだろう。そのミサイルたちが降り注ぐのは、まず日本の軍事拠点の中でも重要なここ高島だろう。あまり楽しい話ではない。

 先制は無限に先制を呼ぶ。無意味なアイデアだ。こんな基地の町に住む私たちこそ、どうやれば平和が保てるのか日々考えねばならないと思うのだが・・・。砲撃訓練の時は、高島じゅうに轟音が響く。まるで戦場のようだ。本当に不快至極だと思う。陸自の下請け仕事をしている、とある市中の土建業者の社員さんが「あの大砲、一発撃ったら大体65万円らしいで。」って話してくれた。「大きい音するけどなぁ、北朝鮮があるし、やらん訳にいかんしな。」ととあるお年寄りの一言。10発で650万、百発で6500万。23日分の大砲のタマ代ですぐ小学校1つ位建つ。軍隊って本当に金のかかるものだ。古今東西そうだ。「それでもいい。」と本当に国民が納得できる軍隊なのだろうか?

 自衛隊とは?もとは警察予備隊だったものを「防御力整備計画」なるもので世界でも指折りの強大な近代軍に仕立てたのは山下元利氏。地元マキノ町の英雄。「大先生」だ。この地で自衛隊に批判的なことを言えば、「共産党」と言われるだけだ。(私は共産党党員でも支持者でもないが・・・。)でも、もし自分の夫や息子や兄弟が自衛官だとして、その大切な人が戦場に赴いて、手がとれたり、足が切れたり、腸が出たりしているのはどう思うのだろうか?戦争とはキレイゴトではない。そういうことは、いわゆる「アウトオブ眼中」なのだろうか?でも本当に戦争になれば、必ずそういうことは起こる。必ず。心も壊れるかも知れない。「戦争になったら・・・」ではなく、決して戦争にならないような日本の立ち位置を万全の努力で保持して行くのが、日本のリーダーの使命であり役割だと思う。だから私は、ゼレンスキーなど全くカッコイイとも偉いとも思わない。「失敗をしでかした奴」ただそれだけだ。私たち国民一人一人も決して戦争などあるものか、あり得ないという決心で日々生活し、発言して行かねばならないと思う。「これからは、戦争なんかもあるかも知れんなぁ。」とかつぶやくのが、既に負けだ。不努力だ。クソだ。アホだと思う。そう思うから戦争はやってくるのだ。

 もう一つ、軍隊について是非考えないといけないと思うことがある。とある自衛隊の隊員募集ポスターのタイトルに「国家を守る公務員」とある。正しく言い得て妙だ。その通りだ。素晴らしいポスターだ。誠意に満ちたポスターだ。その通り、軍隊とは国家を守るものであって、国民を守るものでは決してない。ガソリンやタマと同じように国民=人間というリゾースを消費して戦い「国家」を守る組織だ。ならば、その国民としては本当に自分の大切な人が消費されるに価するだけの「国家」かどうかというのは、とても大切なことのはずだ。「こんな国の為に死にに行くなんて。」ではいけないはずだ。当然、そこではその国の政治を司っている指導者たちへの信頼・評価が不可欠になってくるだろう。「こんな奴らの為に死ねるか?」では・・・。

 でも、ここで考えねばならないことが1つある。軍隊とは、国家を守る為にある。その敵とは1つは外敵=「侵略国。敵国。」もう1つは、国民だということだ。ミャンマーを見ればそれは、よく判る。ミャンマー軍部の国民への暴虐ぶりは筆舌に尽くしがたい。軍部は自らが正当政府=国家であるという立場をいったん取った以上、反逆する国民は全て敵として攻撃しているのだ。全世界から重大な人権問題として非難の集中する中、今年も我が国の防衛大はミャンマー軍部の若手を入学させ、士官教育を行っているのだ。又、近頃、9月に予定しているかの人物の「国葬」とやらに、なんとミャンマー軍部の指導者をミャンマー代表として招待することを通知したのだ。その結果、軍部は反軍政治活動の指導者を4人一挙に死刑執行した。大胆な所業だ。世界の人権団体等からも非難が集中した。恐らく我国の「招待状」に自信を深めたのだろう。正当政府と日本から「お墨付き」をもらったと。およそ軍隊というものは、どんな時代のどんな国のどんな型の軍であろうと国民と共に在るものではないと強く感じる。ちなみにミャンマー軍部をかつて近代軍隊に仕立て上げたのは、他でもない我国だったのだ。彼等の先輩は、「帝国陸軍仕込み」の軍人だったのだ。

 軍部独裁の場合は、当然だが一応政府なるものが軍とは別に在ってもその政権に対して、その存立を脅かすような場合、軍隊は国民を敵と見做し攻撃する。これは、どこでも起こってきたことだ。(戦前の憲兵とか考えれば一目瞭然だが)今の日本人は、どうも自衛隊に対し、そういうイメージを持ちにくいらしい。これは、とても危ないことだ。よく「軍隊は、番犬のようなものだ。いてくれると安心だ。」というけど、私は今の自衛隊位の強度になると体長7m位の巨大なドーベルマン犬を飼っている感覚だ。いつ暴れ出すかと考えるだけで、恐ろしくて仕方ない。絶対必要だという確信が持てないのなら余り持たない方がいい。軍というのは、扱いに困る代物だ。シビリアンコントロールという原理がその首の綱らしいけど一発で嚙み切られそうな危うい綱だ。

 近くのコンビニの駐車場で夏の日にアイスキャンデーをニコニコして食べている人の良さそうな陸自のにいちゃんを見ていると、みんなピンとこないのだろうが、それと軍隊の本質というものとは別だ。どうもこの高島の人々は、そこを誤解している気がする。とても基本的で単純なことなのだが、いくら善人の集団でも集団で襲ってくるなら、それは強大な暴力装置だ。明日、ブルーインパルスのブルーは一体、どんなブルーなのだろう。爽やかな青?心から蒼白になるような青?とても複雑だ。私は観たくない。

 最後にとても大切なこと。今日は8/6。広島の原爆投下の日。人類史上初めて、この国は核攻撃を受けた。アメリカの「軍隊」によって。あの原爆投下に怒りを感じない日本人が少なからずいることに私は強い驚きと違和感をいつも感じている。高島の人たちもどうなのだろうか。心の中は、明日のブルーインパルスばかりか?自衛隊とは軍隊だ。USJでもディズニーでもない。キノコ雲でも空に描いてもらえばわかるだろうか。