「2.1」に寄せて

 76年前の21日。日本人の運命を分けたその日。
2.1ゼネストと聞いて「ピン」と来る人は少なくなっただろう。76年前の明日、21日。
この国は、「天ノ岩戸」以来と言うべき重大な運命の日を迎えようとしていた。対米協調の下、強権的な姿勢を国民に対し強めていた吉田茂内閣に対し、全国約600万人の労働者が団結し、空前のゼネストが予定された。賃上げ等の労働条件改善だけでなく、様々な民主化の要求や日米安保破棄が提示され、もしそれらが実現されれば対米従属を土台にした企業経済本位の社会ではなく、市民本位の労働者の地位と発言権が尊重される日本へと、この国は生まれ変わるはずだった。

 21日。この国のすべてが変わるはずだった。ゼネストとは、全国民が自分たち全員を人質にして要求する闘い。76年前の今日、131日、人々は固唾を飲んで静かな時縞が流れたのだろう。結果は余りにもあわれでお粗末だった。ゼネストリーダーの伊井弥四郎はマッカーサーの命令に屈服してゼネスト中止を決定。2.1ゼネストのことを初めて知ったのは、中2の時。余りに悔しくて腹が立って涙が出た。「伊井のアホ。死ね。」と何度も叫んでいたのを覚えている。どうして上手く逃げながらでも徹底決行を訴え続けなかったのかと。その日…この国の人々は、自分たちの将来を自分たちで切り拓くという大きな宝を失った。一人ひとりが単なる労働力でも国家のリゾースでも無一物でもなく、主(あるじ)であるということを誇らしく示す機を失った。

 その後、この国は日米安保の下、今日に至った。その「完成形」がいわゆる「安倍政治」に他ならない。世界の中でも際立つ低賃金、福祉の切り捨て、年金不安、防衛の為と言う重税化、コロナ無策…。それに追い打ちをかける物価高とそれを放置、否、むしろ推し進めようとする政府。ブラック労働も後を絶たない…。色々な苦難がこの国の人々を取り巻いているけど、何と言っても近頃、驚愕したのは例のJR西日本の立往生事故。被害にあった方々の心労はいかばかりかと。勿論、健康被害も多々。私もかつてサラリーマン時代にJRの人身事故で50分位停止されただけでもかなわないなぁと思ったのに…。6時間10時間12時間とか…しかも寒中に。コロナ&インフルエンザの蔓延期に。全く言語道断だ。民営化以来そもそも利益追求・合理化ばかりを追及してきた体質が「保線」という鉄道の基本をおろそかにしていたのでは、という指摘も出ている。それもそうかも知れないが、私が心から驚愕するのは被害にあった乗客たちが「病的」なまでにおとなしいことだ。そして、「必要以上」に「無駄に」忍耐強かったことだ。そして自発的、自己判断的な行動がなかったことだ。大半は、サラリーマンだろう。「自分一人が声を上げてもムダ。」「与えられた状況の下で少しでも楽に仕事を終わらせるよう工夫するだけ。」「不正義だの理不尽だの筋が通ってないだの納得できないだの」言っても「言ってる時間だけ無駄なだけ。黙って少しでも早く与えられた仕事をすませた方が幸せ。」そんな日頃からの隷従性があの局面で発揮されたのだろう。言われるままに監禁、言われるままに寒中の線路を長時間、行進。言われるままにコンビニのビスケット1箱だけ与えられて、板のフロアに何の夜具もなく仮眠させられ、「ビスケットもらえてうれしかった。」とまるで戦時捕虜か。アイヒマンによって強制収容所へ送られるユダヤ人のような扱い。何の補償も未だ提示されないのに集団訴訟といったような目立ったアクションの気配も未だない。

 元々、日本人は欧米人やお隣の韓国の人々と比べて、国家や大きい組織の不正、不正義に対して遠慮せず抗議したり、強い怒りを爆発させることが極めて少ない民族性の持ち主なのだろう。(私はそれが美徳だとは思わないが。)

 けれど近年、特にその傾向が極まっているようだ。国民が政府に「言っても無駄」「言うと却って逆の施策」その上で「今の日本は素晴らしい国。戦後最高の好景気」「未来は夢だらけ」そんなメッセージばかり。マスコミは全く「政府報道官」。政権に辛口なことを指摘する番組は既に全てつぶした。(古館の報道ステーションなど)あきらめと不安の中で「少しでも無難な態度をとって生きて行くのが賢明」「正論と思っても政治のあり方や政権を批判するだけ無駄で却って愚か」そんな諦観が現状を取り巻いている。強権も抑圧もない中で骨の髄を腐らせるように着々と国民の主体性と主権者意識を奪って行った。

 これこそが安倍政治の真骨頂だったと思う。政治状況を見てもほとんどの自称『野党』は、自民党の外濠。その上、そんな風になってしまった国民相手なら何をやってもやりたい放題。本当に今の内閣は、楽なものだ。故安倍さんの「おかげ」。莫大な国費を使って国葬位やらないと恩義に反すると岸田氏はじめ自民党諸氏が考えるのも当然だろうか。今の日本人の政治政権への満足度は案外高いのだろうと思う。それは、判っているつもりだ。でもあえて言いたい。「被害を受けていることを自覚することすら出来ない」のが最大の不幸であると。

 近頃、流行りの「怒りのおさえ方」(アンガーコントロール)とか「幸せとあなたが思えばそれで幸せ」とか言うスピ本とかはその手の国民統制用出版だと思う。オール与党的な政治地図を見るにつけ、議会制民主主義の枠内で今のこの国の政治を大きく変えるのは、未来永劫に絶対不可能だろうと思う。

 国民・市民・人民、呼び方は何でもいいけど私たち自身による直接の行動しか世の中を変える手段はない。でも「デモ」をいくらやっても余り(というか全く)応えないと思う。要するに、彼等の「困る」ことをやらないと動かない。いきなり暴動とか爆弾闘争とか言う気はない。そうではない。決定的なのは、絶対に鍵を握っているのは労働戦線の再構築だ。企業の人事部になっている今の連合が、労働組合ではない。断じてない。本来の労働組合を作り直すのだ。闘える団結を。そしてストだ。ストこそ我々に与えられた最大の武器だ。だからこそ今、徹底的にそれがやりにくいような「風土」が作り上げられているのだ。法でなく「風土」が。何故なら今でも「スト権」は、ちゃんと存在するのにストをしようという労働組合はほんとに少ない…。(公務員のスト権も奪還すべきだとは思うが。)

 日本人と言うのは本当に「自分が主体」になって行動するのが下手くそだ。一方で仰ぎ見る旗があれば、その下で本当に熱心に勇敢に戦えるものだ。だから乱暴に言うと、明治維新も2.1ゼネストも構造は同じだった。「錦の御旗」か「赤旗」か旗の色が違っただけだ。市民運動を否定する気は全くないが、やはり世の中を大きく改善しもっと全ての人々が幸せに安心して暮らせるようにする為には、一定の政治的専門家集団が人々を導き、扇動し、盛り上げそして運動の随所随所で人々を的確に指導し、又、バックアップすることが特にこの国では、この民族に対しては不可欠だと思う。これを俗に「前衛」と言う。それがないと、個々の「なま」の市民運動では決して今の世の中は変わらないと思う。

 今の世の中を見渡してみると、「やはり」なのか「残念ながら」なのか「たまたま」なのかよく判らないが、それが出来そうなのは、一応日本共産党しかないと思う。近頃、共産党の議員さんから「是非とも党員になってください。」とお誘いを受けている。でもどうも首をタテにはふれないし、今の共産党を政党として正面から支持する気にはなれない。細かい論点はいくつもあるけど、要するにわかりやすく言うと、今の共産党は「お上品」で「のん気」で「文化人的」であり、「我こそが正統の左翼」というプライドは高い余裕のあるシニア世代の為の党というイメージなのだ。とにかくまず第一に考え直してもらいたいのが「敵の出方」理論の否定だ。もっと「危険視」される位の行動的なそして扇動的な前衛政党になってもらいたい。気になるのは、近頃の日本共産党は色々な宣伝物などでブルーとかピンクとかそんなピースフルすぎる色を好んで使っていることだ。「赤」が少ない。逆に近頃、自民党は「赤」を積極的に取り入れてパワフルさと情熱をアピール出来ているようだ。これでは、全くいけない。

 『もう一度、革命の「赤」を取り戻してほしい。』これこそが、私が今の日本共産党に望むことだ。安保でも天皇制でも「国民の総意に基づいた上で」廃止するなどとソフトで回りくどいことを言っているのではなく、「ぶっつぶす」と叫んでほしい。中身は何もないのに、でたらめのリーダーシップだけをどなっているチンピラ集団のような政党がむしろ大躍進しているのを見ればわかると思うが、日本人は、実は強く引っ張ってくれる新しい政党を望んでいるはずだ。「暴力政党では決してありません云々」といった「よい子宣言」ばかりしていても何も人気は出ない。その辺をわかってもらいたい。今の「日共」には。本当に「赤」の似合う政党にもう一度なってくれたら、入党するかもしれないと思う。ゼネストを主導できるのは、あなた達しかないのだから。